「地球の歩き方」では数行、団体旅行には無い、一人旅のガイド


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233 屋根、柱の制

中国古代建築史 (抜粋) 巻三

第十章 建築著作と匠師



(4)屋根:
1)屋根形式
《法式》は3種の屋根を記載する。
①四阿頂(柱;寄棟屋根):これは①種の4斜面の屋根で、清式では廡殿頂と称し、主要に殿閣類建築に用いる。《法式》の規定に照らすと、四阿頂の4条の戧脊(※注1)の平面投影の多くは隅部の45°線上に無く、この様に作るのは大棟が太く短く成るのを避けるためで、その場合は大棟の両端を増出する。《法式》巻五“陽馬”の1節に載る、“もし8椽5間から10椽7間の建物は、両頭は大棟を各3尺増加する”、この様に隅梁上部の尽きる所は45°投影線より外に3尺出すのである。実例は山西省大同の善化寺三聖殿で、8椽5間類に属するが、その大棟の増出は1.35尺で、3尺には不足する。河北省新城の開善寺大殿は6椽5間と言っても、大棟も増出1.3尺で、善化寺大殿は10椽7間に属するが、増出は見られず、その他の実例も大棟の増出は少ない。多分当時、尚普遍的に行われる精度では無かったのであろう(図10-72)。
   (※注1)戧脊;大棟両端から四隅に下る棟
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②厦両頭造(九脊頂)(注;入母屋屋根);清式では歇山頂と称し、庁堂類の建築に用いる事ができ、殿閣類建築にも用いる事ができる。
 《法式》巻五“陽馬”の1節に載る:“およそ庁堂がもし厦両頭造ならば、両梢間は隅梁を用いて2椽を転過し、(亭榭に類は1椽、今亦この制を用いるのは殿閣を作る者で、俗に言う曹殿、又は漢殿、又は九脊殿)。このため丁堂建築に使用する時は“厦両頭造”と称し、殿閣に用いる時はそれを“九脊頂”と称する“様になった。“厦両頭”を解釈すると、1棟の両屋根斜面の建物の両頭に垂木を架け両厦(注;庇の意)を加え、一般に両厦の寛さは2椽で、小亭榭は1椽である。もう一つ別の解釈は“厦”字の音は“殺”と同じで、即ち叩き切る、切り落とすの意味で、両斜面屋根の建築に対して、両頭は1間上部の屋根を切り落とし再び隅梁を用いて両椽を転過し、厦両頭造を後世する。その構造の特徴は屋根の両斜面部分にあり、両端は出際(※注2)に作る。巻五“棟”の1節に出際の制があり、“もし殿閣の隅角を作るならば、出際の長さは架構に従う”とある(図10-73)。
  九脊頂は出際が長くなるので、“丁栿の背に夾際柱子を立て、或は更に柱槫梢或は更に丁栿の背に系(門構えに系が入る字)頭栿を添える“。これは出際の槫(垂木桁)に対して支点を増加させるものを指し、この工法は河南省登封の少林寺初祖庵大殿の妻面に見られ、この殿はわずか3間だが、転角部の隅梁は只1椽だが、桁は中央間の2縫(継ぎ手)の梁架が伸びて、中間は支点が無く、これにより夾際柱子を立て以って槫梢を助け、合わせて系頭栿が妻面の垂木尻を承ける(図10-74)。
   (※注2)出際;入母屋の切妻部分で、妻側に飛び出した垂木。
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③不厦両頭造(注;切妻造):即ち両斜面屋根で、清式では懸山頂に相当する。庁堂建築に用いるとその特徴が2つあり、その一は屋根斜面が平直ではないことで、屋根斜面は双曲面となる。横断面方向では挙折制度が凹曲線を作り、立て方向では柱の生起及び槫梢が生頭木を加え、屋根面も凹曲面を作る。その2は、屋根は梢間から出際が必要で、《法式》の規定に照らせば、“両梢間の両の際は各柱頭を出し・・・・・2椽の建屋は2尺から2尺5寸、4椽の建屋は3尺から3尺5寸、6円の建屋は3尺5寸から4尺、8椽から10椽の建屋は4尺5寸から5尺を出す。”

2)挙折制度:
 挙折制度は2つの部分出構成され、一つは挙屋の法で、即ち総挙高、屋根自体の高さを定める法で、つまり屋根の橑檐方の背面から大棟桁背面までの総高さで、その寸法は前後の槫檐枋中心の距離(A)を基数として、建築の等第によって異なり、総挙高の計算方法も異なる。
e0309314_20563960.jpg
二つめは、折屋の法で、屋根の垂木桁の位置毎に発生する折れを指し、第1折は上平槫に1縫にあり、大棟桁から橑檐方との間を結ぶ線の交点から下にH/10降ろし、第2折は中平槫の所で、第1折点から橑檐方の間の不スブ線からH/20降ろし、このように次々にH/40、H/80・・・・・折点を求めた後、それらを繋いで屋根曲線を作る(図10-75)。
e0309314_21071696.jpg
(5)椽架、出檐、椽径、布椽
 椽架は、椽が両槫の間の水平面投影の長さを指し、《法式》の規定は“どの架も水平距離は6尺を超えず、もし殿閣ならば或は5寸から1尺5寸を加える”、即ち一般の建築は椽架長は6尺以下で、大型の殿閣は7.5尺まで可能で、このような規定と現存の同時期の実物は一致するが、幾つか超えるものが有り、例えば上華厳寺大雄宝殿で、椽架長は9尺に達し、奉国寺大殿の椽架長は8.5尺に達する。椽架が長く成る程、断面は必然的に大きくなり、消耗する材料もそれに従って増加する。《法式》が採取した適中する態度は、最もなもので、明清建築の椽架は短く変化し、明らかに材料を節約する目的から来ている。
 
 挙折制度に従い橑檐方より内の屋根曲線を求め、橑檐方より外の檐頭(軒先)までは、《法式》はその帰属を“造檐の制”に置き、その内容は主要に、一つは軒の寛さで、一つは隅の生出の寸法であり、軒の寛さは建築物の大きさで決め、殿堂か庁堂か余屋に属すかと、同時に又は張り出す垂木の粗密に密接に相関する。《法式》は先に建築類型に依り椽の材分を制定し、一般に殿閣は9~10分、庁堂は7~8分、余屋は6~7分。軒の出の寛さはほんとうの寸法に転換下後の檐径で、2級に分け、檐径5寸は檐の出(檐椽の張出し)4~4.5尺、それとは別に飛檐の寸法を加え、それは檐出の60%に相当し、2.4~2.7尺に等しく、総軒の出は6.4~7.2尺で、換算して2.04~2.30mで、これは殿閣類建築の寸法と成る。もう一つの級は檐径3寸の者で、総軒の出は5.6尺、換算して1.79m。もしこの2類に適合しないかもっと小さい建築に出会った場合、この類に比べて調整する。建築遺物中、檐の出の寸法は普遍的に《法式》規定より小さく、僅かに上華厳寺大雄宝殿だけが2.76mに達し、《法式》規定範囲を超えるのみである。

 隅軒の生出(※注3)は建築規模により定まり、即ち“1間は生4寸、3間は生5寸、5間は生7寸(5間以上は大体の大きさを測って加減する)”。どうして隅軒の生出は材の分数で定めないのか、又軒の寛さの某かの比例として定めないのか、突き詰めると其の原因は隅軒の翅上がりの存在との対応関係かも知れず、《法式》は専門的に跳ね上がりの寸法を決めていないとしても、順に柱の生起の値が有り、(詳しくは柱の制の1節を見よ)、更に正心方から隅部までの加える生頭木があり、共に軒の翅上がりに影響する。生出は生起の値より大きいとしても、軒の生出は翅上がりと依然として相近いのである。
  (※注3)生出:軒が反る事によって必要と成る垂木の伸び。隅に行く程大きくなる。
       生起:隅に近づく程、柱を伸ばすこと

 《法式》は椽の布局(布椽、=配置)に対して特に明らかにして、“1間の中心にする、もし詰組があれば、1間の耍頭を中心にする”も、即ち椽(垂木)間を以って建屋の中心線或は間毎の中心線に対して中心を当てるが、未だ柱の中心線位置に椽の中心を当てるのかは言われていない。清式建築では、柱の中心線位置に、垂木桁が繋がる隙間を当て、椽を釘打ち出来ず、故に柱中心線の所は必ず椽当となる。宋式建築ではそうではなく、垂木桁の相接する所は蟷螂頭口の枘を採用し、椽の釘打ちに影響せず、柱中心線の所も椽当を作らずとも良い。椽が屋根の向きが換わる角はどのようにするか?《法式》は“もし四方に垂れる隅梁で方向を変えるならば、隅梁の分布に従い、垂木先端の密度のままに、隅を超して軒に帰る(次の詰組の中心に至る)“。しかし、垂木尻はどのように交叉させるか?未だ規定には無い。この時期の遺構には2種の工法があり、一つは垂木尻を1点で交わらせ、この点を詰組の中心線と隅梁の交点に起き、垂木を扇形に展開する、大多数の遺構はこの様にしている。別の一つは短かい垂木とし、垂木を皆平行に置くが、但し翼角の垂木は損傷しやすく、木構造の遺物は已に無くなり、福州鼓山の涌泉寺門前の宋代の陶塔に見られる。しかし、この種の工法は日本の古代木構造建築に保存されて来ている。
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  《 福州鼓山涌泉寺門前千仏陶塔 》

(6)用材の制
 《法式》は柱の太さに対して、柱の造型ないし柱が架構中で以下に置かれるかを詳細に規定している。
 1)柱径:殿閣は、2材2栔から3材。庁堂は2材1栔。余屋は1材1栔。

 2)柱身:巻殺(丸く殺ぐこと)が必要だが、どのようにするか? 《法式》に載るのは:“凡そ梭柱に殺ぐ法は、柱の長さを3分割し、上1分割を又3分割し、上に行くにつれて巻殺し、大斗底の四周が各4”分“出て、又柱頭の4“分”を量り、最後は覆盆のように殺ぎ、柱頭と大斗底が一繋がりのようにし、その柱身に下1分割分は殺いで径周囲は中の1分割と同じにする“。この段の文章で人を悩ますのは最後の1句の解釈で、即ち柱身の下部3分の1は巻殺をするだろうか、しないのだろうか?文章の中の“その柱身に下1分割分は殺いで径周囲は中の1分割と同じにする“の、「中の1分割」は、柱身の中の1分割なのか、それとも上の1分割を又3分した後の中の1分割なのか?もし前者ならば、“殺ぐ”必要はなく、一般にいつも見る建築での柱の状況で、下の段は殺がないが、江南にある木構造或いは石構造建築では下1分割を巻殺する例をよく見るが、宋初の遺物で、杭州の霊隠寺大殿の前の石塔の柱は、柱身の下部に巻殺を持つ(図10-76、10-77)。木構造建築の例では、元代の浙江省武義の延福寺大殿がある。字面から理解すると“梭柱”と称するから、上下に皆巻殺が有るべきとなる。
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 3)生起と側脚:柱は架構中に置く時は生起と側脚のやり方を採用し、全体的に架構に強固さを加える。所謂、生起は中央間の柱は平柱で、中央間から隅に段々と高くし、間毎に生2寸、“もし13間殿堂ならば、隅柱は平柱より生1尺2寸高くする”。側脚は外檐柱の柱脚を外側にずらし、正面柱は“長さ1尺毎に側脚1分”即ち1%、側面柱は“長さ1尺毎側脚8厘”即ち0.8%、この様に柱に内向きの傾きを出現させる。生起と側脚は共に工作し、一種の内に集まる力を産み出し、上部の屋根の下向きの圧力と外向きの拡張する力の平衡を産み出す。

 4)柱高:柱高に関して、《法式》は僅かに“もし副階や廊舎の下檐柱が長い場合、間幅の広さを越えさせない”。そして一般に副階のない殿堂或は庁堂は、結局、柱高をどう確定するのかを《法式》は規定して居らず、実例から見る檐柱高も皆中央間幅の広さを越えない。但、両者は未だ固定的な比例関係が見いだせない。当時の建築は、檐柱の柱径もかなり後期まで太く、径と高さの比は最大で1/7ばかりで、少量のものが1/10に達する。《法式》は柱高は未だ規定を作らず、この部分は設計者の感覚が決めていると言える。

 5)拼合柱:柱の用材がかなり大きく、大きな材料が供給されない時は、拼合柱の採用をしても良い。《法式》巻三十の図に2段或は3段に拼合した1本の柱の工法を描き、梁類の部材も“上に繳背を加え、下に両挟を貼る”工法が有り、これは宋代の工匠が已に天然材料の組合せを探し始めた事を述べていて、小材を大材に用いることができる問題である。但《法式》がこの様なだけではなく、残っている木架構で拼合柱を使用した珍しい遺例が―――浙江省寧波の保国寺大殿である。これは木構建築技術が前向きに発展した重要な一方面である。
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         《 寧波市保国寺大殿の拼合柱 》





  ⇒ 目次7 中国の古建築技法”以材為祖”


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総目次 
  ⇒ 
目次1 日本じゃ無名? の巻
  ⇒ 目次2 中国に有って、... & 日本に有って、... の巻
  ⇒ 目次3 番外編 その他、言ってみれば      の巻
  ⇒ 目次4 義縣奉国寺(抜粋)中国の修理工事報告書 の巻
  ⇒ 目次5 日本と中国 あれこれ、思うこと     の巻
  ⇒ 目次6 5-8世紀佛像の衣服
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by songofta | 2017-06-19 21:16 | 旅と地域