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247 3.仏寺建築実例(1) 南禅寺と仏光寺

中国古代建築史 (抜粋) 巻二
 第三章 隋唐五代建築
第7節 宗教建築



3.仏寺建築の実例
 我が国の9世紀以前の地面建築は、殆どが歴史上の種々の災禍を免れず、極少数が今まで残るのみで、全ては宗教建築である。唐、五代の実例中、仏殿4座があり、全て木構造である。人が遺憾に思うのが、この4座の仏殿は全て、中晩唐時期の地方の仏寺の単体建築で、文献が描述したり考古発見の初唐盛唐時期の都城の仏寺(取分け勅建の仏寺)の建築規模から甚だ遠いもので、その中から唐代木構造建築の発展過程:及び等級制度に対し、系統の整った理解をすることは困難である。先ず、中国古代の木構造建築の発展は、隋唐では已に成熟して、中国とういつの局面の下、南北南北朝時期に南方北方地区の建築工法と特徴が融合して一体化し、一組の礼制の特徴を持った営造制度を形勢し始めた。この制度は建築構成に応用され、構造工法と部材寸法を規定するのを除き、厳格な等級観念を貫徹し、建築物の規格を限定することを通して、封建社会の礼制に符合させるものである。これに因り、特定の社会地位にあった建築実例は、規模の大小を問わず、皆具体的にこの制度を理解し研究する重要な実物資料である。同時にこれ等の実例は古代建築構造形式の変遷発展と技術進歩等の方面の研究にとっても同様の意義を持つ。
 これとは別の方面で、日本の現存する数多くの古代建築の実例と比べて、中国早期木構造の実例は数が少ないが、それらは上述の営造制度の下の三仏であり、適切に表現された我が国木構造建築の外観形式と構造工法であり、内在の構造程式と等級制度を反映している。日本の仏教建築文化は中国から舶来されたと言っても、未だ中国の営造制度全体を受け入れられていない。正にこの種の内在する差別は、日本の平安時期以前の建築は、総体の外観から細部処理まで、実際上中国唐代建築と一定の違いがあり、唐代の木構造建築形式と発展規律を、完全に反映することは出来ない。もし中国の自己の唐代実例が無かったら、絵画や雕刻等の形象資料に基いて、この問題を明確に説明することはかなり難しい。

(1)山西省五台山の南禅寺大殿
247 3.仏寺建築実例(1) 南禅寺と仏光寺_e0309314_19465355.jpg
 南禅寺は山西省五台山李家荘にある。寺内の大殿の梁架上に重要な題記が2ヶ所ある:
 “旧名時、大唐建中三年壬戌の歳、月は戊申に居、丙寅の朔、庚午日、癸未時、殿を修理する(重修殿)。法顕等謹んで記す”(中央間の西平梁底)
 “これは年まわりが丙寅の年、元祐元年三月十一日竪柱、台桁・・・・・”(中央間の東大梁底)
 これで知られるのは、南禅寺大殿は少なくとも、唐建中三年(782年)と北宋元祐元年(1086年)の2度の修理を経ていて、300年間隔たり、元祐の修理時は、更に柱等の部材を動かした。史料中にはこの寺に関する記載が発見されて居らず、その創建年代は確実に知る方法がない。題記中の“重修殿”も、現在の殿堂が基礎の上に新しく仏殿を再建したと言うことかも知れない。もしこの様な話ならば、現存の大殿の始めて建立されたのは建中三年ということになる。
 1974年前後、文物部門はこの殿に全面修復して補強したことがある。架構部分の基本は現状を保持した事を除き、軒や垂木と屋根は均しく歴代の修葺中でかなり改造され、大面積を新たに復原設計して作った。
 大殿は南向きで、桁行3間(11.75m);奥行4椽(10m)、均しく3間に分ける;全高約9m。単檐入母屋造、殿内は砌上明造(※注1)。南面の中央間に2枚の板戸を設け、両側間は縦格子、東、西、北3面は版築の壁とする。殿身に用いる柱は唯外檐一周の12柱のみで、側脚(※注1)は7cm、角柱の生起(※注1)は6cm。前檐4柱と後檐の2柱を除きその他の檐柱は皆積んだ壁の内に在り、その中の幾つかは断面が方形に作り、かなり古い風格を表している(図3-7-9)。
    (※注1)砌上明造;天井を張らずに、架構がむき出しで、月梁が屋根荷重を受ける
            側脚;柱が内転びと成るように柱脚をずらすこと
            生起;隅柱を高くして軒の線に反りが出るようにすること
247 3.仏寺建築実例(1) 南禅寺と仏光寺_e0309314_19472472.jpg
中央間の前後の檐柱に間に通梁を用い、梁上に駝峰を立て、斗栱は托脚を併用、平梁と平槫を支える。平梁の上は叉手と令栱を以って大棟桁を支える。宋代の《営造法式》中の架構形式分類に照らせば、庁堂架構中の“四架椽屋通檐用二柱”に属する。外檐周囲は只柱頭(隅を含め)鋪作のみで、詰組は無い。中央間の柱頭鋪作中、大斗の内外は各1手出跳する華栱と成って梁を承け、梁頭は外に向けて伸びた部分が鋪作中の第二手の外に出跳する華栱を作り、斗栱上に横に令栱を置き、替木は、上の撩風槫を載せる。梁の背の上に複梁を長く通し、繳背と呼び、令栱の外まで伸びて切り落として耍頭状にする。妻面の柱頭鋪作は内外に華栱が各二手出跳し、内に出跳する華栱上は丁栿を承け、通梁上の複梁と同一水平面で交叉する。丁栿は外に向けて令栱の外に伸び、同様に耍頭状に作る。隅鋪作は正側面に出跳する華栱の他、隅で継いで内外に二手45°華栱を出跳する:内に出跳する者は45°隅乳栿を載せ、乳栿尻は通梁の繳背の上に掛かり、妻面に出る平梁を載せるのに用いる;外に出跳するものは、その他の柱頭鋪作形式は同じで、上に大角梁を承ける。檐柱の柱頭の間は単層の頭貫を連絡し、柱頭鋪作の間は2層の柱頭枋が周囲を連結し、上層の枋は複梁と同一水平面で、枋の上は柱頭に駝峰を設け、斗は厚槽枋を承ける;下層の枋の下は、大斗より横に出る泥道栱があり、枋身は慢栱を隠出する(図3-7-10、11、12)。これとは別に、注意に値するのは、部材細部の工法の2点ある:一つは、方形断面の檐柱(30cm✕36cm)で、現在西檐柱3本だけが残り、最初の部材が変えられていない;二つ目は、肘木端の巻殺が5辨の内凹である。類似の工法は北斉の石窟窟檐と墓室の木椁に見られ、或は山西省や河北省一帯に長く流行した部材の細部処理方式に属している。
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        ※ 四椽栿の上に繳背、その上両端に駝峰、又上に平梁、叉手を介して大棟桁

 南禅寺大殿の建築規模は、小さいとは言っても、架構工法は非常に簡潔で、熟達下技術が顕示し、一種雄渾な気勢を持つ。通梁の内法スパンは8mに達し、梁間10mは只4椽だけを用い、椽架の水平長さは2.5m近く、これは現存の古代木構造建築の実例では、めったに見られない。
 1974年の修理時、大殿の原座は、一辺約19m、幅約15mの長方形の磚積み基台上にあり、台高1.1mである。殿身の四周を取り囲む台明石(注;台基の露出部分)の外縁は檐柱芯から約2m離れ、74年当時の大殿の檐の出はわずか1.66mで、明らかに後代の修補時腐朽した檐椽頭部を裁短している(現在は復原されている)。殿前に奥行5mの月台がある。台基は寸法33✕16.5✕5.5cmの磚を用いる。
 今は南禅寺内に只大殿と台基だけが原構造として遺存しているだけで、その他の建築物は明清時期に建てたものである。寺院配置形式は、もう判らない。殿身の規模に拠れば、架構形式と梁架の墨書題記から推測して、南禅寺は僧人の蘭若が発展して小型地方寺院になったのかも知れない。
 南禅寺大殿の架構寸法比例の分析を進めた時、この殿の営造に用いた尺度は27.5cm/尺かも知れないことを発見した。表3-7-2は、大殿の主要な実測データと推測尺及び公認の唐尺に換算した比較である。架構の変形と実際操作での可能性を考慮して、表中の換算値はなるべく整数を取っている。
247 3.仏寺建築実例(1) 南禅寺と仏光寺_e0309314_19505454.jpg
 表から見て取れるのは、換算データと実測データが完全に符合する情況であり、推測尺欄中は5例あり、唐尺欄は僅かに1例である。そして、推測尺を採用すると、架構寸法は均しく完整な尺数となり、唐尺を採用すると多くが端数がでる。更に重要なことは、推測尺の標示する架構寸法の間には、合理的な比例関係がある。例えば中央間の間幅12尺は、次間の丁度一倍半;平柱高14尺は、丁度鋪作高6尺と挙高8尺の和になる;椽長9尺は、中央間々幅の二分の一である。この他に、条磚の寸法は、推測尺換算で十分規整でき、唐尺を用いては出来ない。
 現存の伝世した唐尺の長さは、多くが29.5~29.9cmの間で、唯石尺一つに28cmがある。隋尺は27.3cmである。これに因り、殿内の旧柱が方形である情況と結び付けてみると、南禅寺大殿は、創建が北朝末期或は隋代かも知れず、そのため用いた営造尺が隋尺に近いのではないか。現存の架構は唐代の再建で北宋の修理を経て、当時元々用いていた尺度に沿ったかも知れず、幾つかの隋時期の細部特徴を、例えば肘木端の内凹巻殺等のようなものを残したのかもしれない。
 殿内中心に曲尺形の仏壇を設け、上に像1組を置く。これは比較的典型的な唐代の仏殿の像設置方式で、敦煌莫高窟の晩唐窟にも見られる。
 南禅寺大殿の題記年代(782年)は、現存実例中で最早の一例で、殿身規模(3間)、架構形式(通梁2柱)及び用材規格(宋《営造法式》の3等材に相当)は相互に符合し、架構尺度を加え、比例と細部工法上の特徴は、それが建築史上の重要な位置にあることを確立している。

(2)山西省五台山の仏光寺
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①現状、沿革と配置
 仏光寺は山西省五台豆村に在り、五台山の西麓に建ち、故に寺の中軸線は東西に向かっているが、環境により造成されたものである。寺内の地勢は東高西低で、その差は10余mある。現状は上中下の3層の台地に分かれ、台の前は土壁を積んで覆い、中軸線の位置に戒壇上下を設ける。
寺内の現有建築物中、大殿は唐大中十一年(857年)の建立で、中軸線の東端に位置し、上層台地の正中央、西に向いて東に坐し、殿後はすぐ急な坂で、殿前は10mの広い平台で、台面と中層の高低差は10m近い。中下層台地上に、中軸線に沿って両側に副次的な建築物が分かれて並び、その中で金代の天会十五年(1137年)建立の文殊殿を除き、皆後世の建築である。文殊殿は北にあり、その対面は元、普賢殿が対称の位置にあり、今は毀れて無い。中軸線の西端の元、山門があり、清末に毀たれ、現状は金大に増設された小殿が建つ。大殿から山門まで、全寺の東西水平長は約120m、謄写区に換算して40丈前後である。
 木構造建築を除き、寺内には未だ1座の墓塔と2座の経幢がある。墓塔の現名は祖師塔で、大殿の東南脇にある。塔の位置から判断して、その建造は仏殿以前で、これに因り寺内で現存する最早の建築物である。大殿の正中央に、1座の仏殿と同時に建立された大中十一年の幢があり、下層の台地の正中央に又、1座の乾符四年(877年)の幢がある(図3-7-13,14)。
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                   ※ 祖師塔と幢
          
 北魏から始まり、五台山は仏教聖地と成った。唐高宗龍朔二年(662年)、沙門を遣わして故寺を修理させ、絵師に命じて山寺諸図を描かせたのは、初唐時には已に五台の仏寺は大きな規模を持っていたことを表している。敦煌莫高窟第61窟の(五台)壁画《五台山図》は、晩唐の粉本で描いたもので、その中の大仏光寺は五台の諸寺のなかでかなり大きな物の一つである。
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                ※敦煌莫高窟に描かれた仏光寺

 仏光寺の創建年代は考察が出来ない。史料記載では、晩くとも隋末唐初には、この寺は五台の名刹であった。《続高僧伝・釈解脱伝》に記す、“五台山の南、仏光寺に隠棲すること40余年、今だ以前の堂が10余ある。・・・・山に在って学ぶ者は七、八百人、四方の辺縁の地を教化し、天性は聡明で広く人を愛護し、・・・・永徽中(650-655)亡くなる。今その聖躯はなお存在し、山窟中に屹立して坐禅を組んで居られる“、これに依れば7世紀初は已に相当興盛していた。
 寺院建築配置に関しては、史料中に詳細な記載がなく、僅かに寺宇の興廃に関する記述中に、寺内建築物の建造に関わるものがある。《宋高僧伝・法興伝》に記す曾て仏光寺の冊上に名を掲げ、“功徳を修め、3層7間の弥勒大閣を建てる、高さ95尺”。法興が亡くなったのは太和二年(828年)なので、建閣の年代は元和と長慶の間(806-824年)である。同書の〈愿誠伝〉に記す会昌滅法の後、“大中になり再び崇仏となり、誠は遂に仏光寺を尋ねたが、已に荒廃していた。発心して順に新しく建てた。美声は盛大で、評判は帝の聞くところとなり、聖旨は嵐のよう、雲のように紫衣を降した”。言っていることは、会昌滅法の前、曾て寺内に3層閣が建ち、滅法後、寺宇は荒廃し、再建又は新建し、朝廷の表彰を得た。《敦煌遺書》にある〈五台山行記残巻〉に、五台時期の人が考察したものがある。文中に記載する仏光寺は“大仏殿7間があり、中央に3尊、両面に文殊、普賢菩薩。弥勒閣3層があり、72の賢人、万の菩薩、十六羅漢。解脱和尚の真身塔、瑣子骨和尚塔、・・・・・”、当時、寺内には殿閣が併存し、即ち大中年間の“順に新しく建てた”ものの筈である。
 大閣は3層7間、必然的に寺内中軸線上の主体建築物で、寺内の地形から判断して、その位置は中層台地の中央かも知れず、閣の背後は即ち上層台地の土壁が覆った所である。
 上述の記載に拠り、法興の建てた閣の後、寺内は前閣後殿の平面配置を形成する。会昌滅法後、大中年間の再建を経た(図3-7-15)。金代に閣の両側に文殊、普賢の2殿を建て、遂に原有の配置を改変した。金代以後、漸次毀壊し、再び大きな整備を承ける事はなかった。

②大殿
 前述の復法時、僧人愿誠は仏光寺で再建を計り、“美声は盛大で、評判は帝の聞くところ”で、皇帝の褒彰を受けるに至った。殿内の梁架の底部の墨書題記は、また、建殿に出資した施主の一人は寧公遇と呼ぶ長安貴族の夫人で、その目的は曾て高位の“故右軍中尉王(守澄)”の祈福の為で、同時に“河東節度使”、“代州都督供軍使”等地方官吏の支援を得た。これ等の建設に出資した施主の身分から推測して、この大殿の設計と建造は、当時の官方建寺の建築規則制度に基いているとすべきだろう。
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 大殿の桁行7間、中央の5間の幅は5.04m、梢間(注;尽間の誤りか?)の間幅は4.4m、通しの面幅は34m、奥行は4間8椽、通しの奥行は17.66m。正面の5間に板戸を設け、両妻側と後壁は厚い壁とする。正面の両端の間(尽間)と妻面後部の1間に板連子窓を設ける。殿内には格天井を用い、屋根は単檐寄棟造である。殿内の中心から後ろに偏った所は、通し長さ5間の仏壇で、その上には、間に合わせて三尊主像と文殊、普賢、脇侍等を置き、壇の側面後面は衝立があり、これは晩唐の仏像設置の特徴である(図3-7-16~21)。殿身の架構は下から上まで柱網、鋪作、梁架の3部分で構成される。この種の水平の分層は、上下に重なる架構形式で、唐代建築の主要な特徴である。
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 大殿の架構各部分の間には、明らかな比例関係がある。例えば、桁行は奥行の2倍、中央間の間幅等は平柱高さで、平柱高は中平槫(注;大棟桁と檐桁の中間高さの垂木桁)の地面方の高さの2分の1。架構設計の中で已に一組の既定の程式と修法が形成されており、建築物管理の総体比例に依っていることを表している。設計で柱網平面と鋪作層形式の変化は空間構成の主要な手段として、構造と芸術の完美な統一を体現している。
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 唐代の官寺には、官と庶の区別があり、官寺には又都城と地方、勅建と賜額を請うたものの別があり、仏寺建築も相応の等級規格の差がある。この制度に関しては、《営繕令》に、:“王公以下は舎屋に重栱、藻井を施してはならない;三品以上は、堂舎が5間9架を超えてはならず、庁は入母屋造、門屋は5間5架を超えてはならず;五品以上は、堂舎が5間7架を超えてはならず、庁は入母屋造、門屋は3間2架を超えてはならず;・・・・”、この他に唐令中に、“宮殿は皆寄棟造で鴟尾を施し”の規定がある。当時は主要に建築規模(桁行、梁間)と鋪作、天井形式及び屋根形式と装飾の制限があり、建築物の等級から来ていた。史料中で、未だ見つかっていない仏寺の営造制度に関する規定は、居住制度を参照して、現存の仏寺建築実例及び遺址に対して、一連の分析比較が出来る。
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 仏光寺大殿と南禅寺大殿を比較すると、明らかに両者には、上述の角面での差がある。仏光寺大殿は寄棟造で、鴟尾を用い、唐令の官殿に関係する規定に符合し、桁行7間も唐令が規定する王公以下の堂5間の標準を超えており、明らかに宮殿体制に属している。;南禅寺は入母屋造で、即ち唐代に言われた“覆両頭”、桁行3間は、唐令の言う五品は、堂5間、庁で覆両頭という標準よりも低く、明らかに庁堂等級に属する。これは同じ仏寺といっても、仏光寺の等級は南禅寺より遥かに高いことを表している。それとは別に、仏光寺大殿の外檐の鋪作形式は七鋪作双抄双昂で、室内は格天井と月梁を使用している;南禅寺大殿は五鋪作双抄で、室内は砌上明造である。唐代建築は全体架構から局部工法まで、その間には確実に一種の内在的連係があり、特定の規格に符合することを示している。
 仏光寺大殿と唐長安の西明寺別院及び青龍寺遺址の仏殿基礎を比較すると、それらの規格は大きく異なる。仏光寺大殿の架構平面寸法は34✕17m、桁行7間、奥行8架椽である;西明寺別院殿址と青龍寺殿址の版築土台規模は、均しく50✕30m前後で、両座は同一規格の建築物とすべきで、恐らく桁行9間、奥行12架椽の大殿と想定でき、規格は又、仏光寺大殿より遥かに高く、都城中の勅建仏寺の主殿規格に属すと言うべきである。
 史料記載に拠れば、唐代の地方仏寺の中の、規格が極めて高い殿閣建築にも、多くは特殊な背景がある。五台山金閣寺の不空の造った9間3層の大閣は、不空の当時の地位と関係がある。そして法興が造った仏光寺7間3層閣は、一般仏寺の規格制度のやり方に符合している。

※原図不鮮明のもの以外は、百度百科、百度図片より引用している




  ⇒ 目次7 中国の古建築技法”以材為祖”


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総目次 
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目次1 日本じゃ無名? の巻
  ⇒ 目次2 中国に有って、... & 日本に有って、... の巻
  ⇒ 目次3 番外編 その他、言ってみれば      の巻
  ⇒ 目次4 義縣奉国寺(抜粋)中国の修理工事報告書 の巻
  ⇒ 目次5 日本と中国 あれこれ、思うこと     の巻
  ⇒ 目次6 5-8世紀佛像の衣服

by songofta | 2017-08-12 20:28 | 古建築 | Trackback(11) | Comments(0)
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