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「地球の歩き方」では数行、団体旅行には無い、一人旅のガイド


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257 隋唐の建築技術 磚石構成(2)

中国古代建築史 (抜粋) 巻二
 第三章 隋唐五代建築
第12節 建築技術


2.磚塔
 隋唐の磚塔は、形式論では単層と多層の2類があり、多層は又密檐塔と楼閣型塔の2種がある。だが、構成構造から言えば、今の所、隋唐の塔は単層多層と言っても、只一巡する塔身外壁があるだけで中が空洞の空腔式塔である。五代に至って、やっと内部に塔心や回廊と、磚積みを用いた各層に楼面のある楼閣型磚塔が出現する。
 単層磚塔:多くは、方、円、六角、八角形の小塔で、一般には、塔心室一つがある、実心磚積み体で、門内に小龕一つを開ける。この類の塔表面はプレハブ式の磚かレンガ、磨磚を用いて、須弥座や仰蓮、柱、頭貫、斗栱、門窓を積み、秀麗精緻で、高い磚面の装飾工芸技術を表現し、例えば河南省登封会善寺の唐開元五年(746年)浄蔵禅師塔(図3-12-41)や、河南省安陽の修定寺塔、山西省遠城の唐泛舟禅師塔(図3-12-42)と招福寺塔(図3-12-43)等である。だが、それらは磚構成技術上はっきりした発展は見られない。
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 多層磚塔:隋の磚塔は已に存在しないが、唐代の密檐塔はまだ残った物が多く、西安の荐福寺小雁塔が最も著名である。塔の建立は、唐中宗の景龍年間で(約708年)、方形15層の密檐塔で、高さ43m。それは依然として空腔型塔で、塔の4壁は外に向けて迫り出して塔檐とし、内に向けて迫り出して木の楼板を承け、かなり特異な所は、又内壁より斜めに上に向けて出跳して迫り出し、内壁を螺線形に巻いて上に昇る梯道があり、各層の楼面に登る。中国古代の第榭は題の外壁を巻いて台を登る梯道を建て、外形が螺の殻のようなので、“蠡台”と呼んだが、内部に跳び出したものは、僅かにこの例だけで、その他の唐代の磚塔に、この様なものが有るか無いかは、尚考察を待つ所である。この塔は近年修繕され、基礎の版築土中に腐朽した縦横の木梁で、基礎を全体的に増強して設置されたのを発見した。層の塔檐隅の上毎に、磚を積んだ中に埋設された木の隅梁があり、隅角の出跳する檐の安定を補強することを以って、磚塔が採れる補助的な措置とした。小雁塔の下層塔心は素の壁だが、磚の色は上層と異なり、明らかに上層に比べて突出し、これも明代に包込んで磚積みしたためで、元々の磚の積み方は外観上見ることは出来ない。修繕時に現れたのは、塔は泥漿で積んでいた。 

 唐代の楼閣型磚塔は、西安慈恩寺塔、興教寺玄奘塔、香積寺塔があり、西安慈恩寺塔が最も著名である。塔平面は方形、面毎に門一つを開き、高さ7層、高さ64.1m、条磚を用いて積み、完成は則天武后の周長安年間である(約701-704年)。塔外面の各層は磚積みで柱や頭貫、大斗を出し、二重の花牙磚線を加えた後、迫り出して塔檐を出跳する;塔内部の各層も磚を出跳して迫り出し、木で作った楼板を承け、構造は基本的に嵩岳寺塔に近い。とうの外部は明代後期に包み込んで積まれたもので、内部も石灰を塗って覆い、新たに楼層と楼梯を建て、磚の積み方は今の所調べる方法がない。
 西安香積寺塔下層は特に高く、それより上の9層はみな等しく低く、そとの輪郭は密檐塔に近く、2層以上の塔身は皆磚を積んで柱や頭貫、大斗、門、窓を出し、又楼閣式塔に似る。構造上から見ると、それは依然として空腔型の木楼板の磚塔である。
 小雁塔と香積寺塔は皆、層毎に4面か2面に対向してアーチ門を開き、塔身構成上の弱点となり、明代成化年間の西安地区大地震で、皆、塔門に沿って垂直に1本の亀裂が入り二つに避けた。おおよそ宋、遼時期已に上下に1本の層を逐って門を設ける弊害が発見され、磚塔を建てる者は多くが上下層でずらして門を設け、外観上疑似アーチ門を以ってこれに代えた。
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              (参考)  西安香積寺塔

 五代時期、江南に一種の内に回廊の有り、塔内壁と塔心室は、磚積みの楼層を用いた新しい楼閣式磚塔が出現し、最も著名な例が蘇州虎丘塔と杭州雷峰塔である。
 蘇州虎丘塔は、平面八角形で高さ7層の楼閣式磚塔で、高さ47.5m、始めて五代後周の顕徳六年(959年)建立で、蘇州は当時呉越国に属していた。塔平面は正八角形で、層毎に各アーチ門一つを開く。外観の2層以上は塔身の上下に各平座と塔檐があり、皆磚を用いて出跳して迫り出し、又磚で1跳か2跳出跳したときょうで飾る。塔檐上部は磚積みで逆に迫り入って、上層平座まで下がって止める。唐代の空腔塔が只1巡の外壁であるのとは異なり、塔内は更に磚積みの巨大な塔心があり、それも八角形に作り、外壁との間に回廊を形成する。塔心の4つの正面には各アーチ門が開き、内に巷道を建て、南北と東西の巷道は塔心内で十字に交叉し、交叉する所はやや広げて、塔心室とする。平面上から見ると、この塔は内外2巡りの塔壁と中央回廊からなり、内壁の内側は塔心室とする様に見える。だが巷道と心室は低く且つ小さく、又この塔は巨大な八角形で、塔心に十字の巷道と心室を積んだ様にも見える。塔外壁内側と塔心(内壁)外側上部は、対に成ってそれぞれ出跳して迫り出して、交叉した後、回廊の頂部を構成して、その上は再び平らに磚を積み、楼層を形成する。楼層の厚さは1層の回廊頂部から2層地面の厚さが1.6mで、それより上は逓減し、7層の地面は下楼層との厚み約0.8mになる。この様な暑い楼層は、条磚を用いて継ぎ目をずらして平らに積んでいて、塔の内外壁の間の連係に対して、一定の役割を起こすはずである。塔に登る階段は木製で、回廊の上に設け、回廊頂上で磚積みに空孔を残して上がる。各層の空孔の配置は皆、できるだけ上下層の対置する両面とし、構造上の弱点の集中を防止している。塔の刹柱は塔頂から下に向けて、7、6両層の楼面を穿ち、塔心内の横梁上に立てる(図3-12-44、45、46)。
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 この種の塔内は、巨大な塔心(或は、内壁と塔心室)があり、塔心と外壁は磚を重ねて集り、上は地面を積み、楼層を形成し、各層の塔心と外壁は連接して一体的多層楼閣式磚塔となり、安定性と全体性は皆、唐代の空腔木楼板の磚塔より強度を必要とし、積層式磚塔の技術は已にかなり大きな進歩を遂げた。だが、塔外壁と塔心の間は只楼層の平積みの磚の結合に頼っており、不均等な沈下と歪に抗する能力はかなり少なく、故に宋代はこの種の工法を援用する時、外壁と塔心の間に木梁を架設し、一般には間毎に1梁、内外の結合の助けとして、一定程度この弱点を補っている。

 杭州の雷峰塔は西湖の南屏山の下にあり、北宋開宝八年(975年)呉越王銭俶のとき宦官が建て、当時は南唐や呉越がまだ在り、五代の余波と見ることができる。塔は13層で計画され、財力の限界で、7層で止めた。以後又削って5層とした。崩壊する前の情況は、平面八角形、底層は毎面幅約40尺、残高5層。毎層の8面は皆3間で、中央間は各一門を開く。2層以上は、下を平座とし、上を塔檐として、磚積みで柱、頭貫、腰串と扶壁栱、柱頭枋を出す。柱頭斗栱と詰組の所に、磚壁から内に1から3跳の華栱を出跳し、木架構の平座地面と塔檐の瓦頂を承ける。1層塔身の四周は木構造の回廊を建て塔下の裳階を形成する。その内部も磚積みの塔心で、構造は蘇州の虎丘雲岩寺塔と基本的に同じであろう(図3-12-47)。 この2塔は呉越国末年に建立され、いずれも塔心柱があり、磚積み楼層の多層楼閣式塔で、当時の新しい創造である。異なる所は、虎丘塔の外檐は平座を含み、塔檐は内に在って全磚造で、雷峰塔の外檐は則ち塔壁内に埋設した木部材であって、1から3層の出跳した木華栱が、木平座や木塔檐を承け、これは木檐磚塔である。この両類の塔は宋以後の興南地区が皆かなり大きな発展により出来たものである。
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3.磚積みでの護壁

 唐代の城門、城壁、建築墩台等は、殆どが磚包積(磚で版築を覆う)である。
 唐長安城壁、城門墩は皆版築で出来ていて、たとえ大明宮であっても、城門墩や城門付近の小区画と城隅の隅墩は磚包積で、厚さ約70cm、磚2枚分の長さである。だが、洛陽の宮城と皇城は却って内外が全部包磚で、且つ磚は特製の城壁積用の磚を用い、長辺を斜めに磨いた物と短辺を斜めに磨いた物の2種の規格に分け、分別して順磚と丁磚(注;長辺を横に積む磚と、直角に積む磚)として用い、その斜度と城壁の傾斜が一致する。城壁は僅かに残基が残るが、磚の具体的積み方はまだ調査がされていない。城壁本体の傾斜から、包積の磚も一層一層を内に収めていく必要から、版築壁との間に歯形の噛み合いを作り、壁体と磚表面の結合に有利にしている。
 幾つかの巨大建築の下の墩台、例えば含元殿の墩台や麟徳殿脇の郁儀楼と結鄰楼の2楼下の墩台等は皆、磚の包積みを用いている。継ぎ手を磨く磚(清代には“乾摆”と言う)を外壁に包磚する工法で、今知られている最早は後漢未央宮遺址である。南北朝時期の遺例はまだ見つかっていない。大明宮の中で三清殿下の高さ14mの墩台は、版築で建築され、四周は継ぎ手を磨いた磚の壁で包み、最も下の2層は表面を磨いた条石で基礎とし、今までで最も豪華と考えられる護壁の工法である。壁画には、磚で包んだ台基や墩台を上下が真直に継いだものが多いが、今までの所遺例では却って上下と食違いに継いでいる。唐長安龍首渠の両側壁と底は皆、包磚で、美化のためを除き、明らかに斜面を保護する役割を持っている。
 だが今まで、尚まだ磚積み壁の例は発見されていない、最重要な宮殿、例えば含元殿、麟徳殿は全て版築壁を用い、内外の壁面は石灰を塗り、刷毛で仕上げる。壁の下半分の“隔減”工法(※注)は出現していない。磚を用いて土壁下部に隔減する工法は、宋、遼、金建築では普遍的だが、唐代遺址と現存の唐代建築中には未だ見つかっていない。
  (※注)隔減工法;石灰混合物に顕著な隔震効果が有るとされ、基礎や下部に石灰を加える工法

4.基礎の工程
 目下の所、隋唐建築の基礎の工法で判明しているのは甚だ少なく、発掘された遺址と少量の修繕を経た建築から、おおよそ、その一部を窺い知る事が出来ただけである。 隋唐建築の基礎は一般に版築で造成される。重要部分は、雑多な石灰分のない素土を密に突固め、次に重要な所は、やや緩めで、再建は雑多な磚や瓦の砕片等を用いる。 已に発掘した宮の諸殿は、殆どが一面の版築で基礎とし、且ついっていの厚さを持つ。例えば含元殿は地面のした厚さ3m余の版築基礎で、加えて上の地面上に台基があり、併せて厚さ7m近い。大明宮麟徳殿下は、厚さ3mの版築基礎で、上の地面に台基を加え、併せて厚さ5m余。玄武門門墩下の版築は厚さ2m余。大明宮宮城の版築は厚さ1.1mで、左右の城壁を各1.5m出る。これ等の基礎は全て密に突固めた素土で、工程量は膨大である。 唐洛陽、則天武后の明堂遺址の基礎は、主体は幅54.7mの八角形で、唐尺換算で186尺。長安宮殿と異なる所は、それが地面全部の基礎であるが、各部分の厚さは大きな差異があることである。基礎は内から外へ5つの部分に分かれる。中心部分の直径は約26m、版築は固く、厚さは10mに達する;正中央に上の径9.8m、底の径6.16m、深さ4.06mの柱孔が有り、四壁は磚で包まれ、孔底は4個の方約2.4mの石塊を組合せて一大柱礎を作り、それこそが明堂の上下を貫通する巨大な中柱の礎石なのである。この部分の他、版築は4圏に分けられる;中から外へ向かって、
  第1圏、幅6.5m、厚さ僅か1.6m、版築はやや軟らかい;
  第2圏、幅8m、 厚さ4.8-8m、版築は堅く締まる;
  第3圏、幅4m、 厚さ1.4m、 版築はやや緩い;
  第4圏、幅11.6m、厚さ1.5-4.5m、版築は雑質を含む。
ここから明らかに見えるのは、第2圏は明堂2,3層部分の外檐柱のある所で、荷重が大きく、基礎は厚く築土は密で締まり、第4圏は明堂1層の外檐部分で、基礎も亦やや厚いが、荷重はさほど大きくなく、中心と第2圏ほど密に締まりは無い。1,3の両圏は室内で大重量を承けない所で、築土は薄く軟らかである。建築の荷重の変化に従って基礎の厚さを変え、一面に版築を始めるのに比べ、一歩進歩している。
 唐代の塔基は、一般の殿基に比べ多くが幾つかの措置を採る。707年に建った西安荐福寺小雁塔は磚積み密檐方塔で、高さ43m、筑土の高台上に建ち、台の四周を取巻いて廊と壁があり、大体《遊城南記》に言う裳階の類で、近年その壁の下の石条は発見された。近年の修繕時、その基礎を探査した時に、方形の築土の基礎内に縦横に重ねた2層の大木梁が発見され、基礎中に突固め、基礎の全体的な補強を目的としたものである。塔下の基礎の壁は砂石と条石で底を敷き、それから磚を積んで塔身とした。沈下を防止するため、塔下は大体台基の四面各30mの範囲内は、全て築土層である。西安は湿った黄土築で、地面の基礎は浸水を経ると荷重を承ける能力を失うので、この種の防災措置を採取した。《法苑珠林》の言う、鄭州超化寺塔は隋代の建立である。”塔基はぬかるみの中にあり、西面に5、6泉、南面にも亦あり、どの孔も方3尺、滔々と湧き出て、溢れて河となる。泉の上は皆柏柱を降ろし、泥水に敷き、隅と砂礫石灰を次々に重ね、最も上は大きな四角で、8尺の石で床を編んでこれに敷き、四面は鎹の長さ1尺5寸、深さ5寸を打って、鋳鉄で固定する。これにより、この当時、水中か水辺に屋を建てる時、下はパイルを打って、上に石板を敷き、石板の間を鉄の鎹で連結し、溶けた鋳鉄を鎹の継ぎ目に流し込む。この種の工法が、いつ頃始まったかは知らないが、ずっと宋元まで使用されていた。元の大都崇仁門北の城水閘を穿つ基礎は、まだこの種の工法であった。
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 だが、唐代は建築の基礎処理が、全て厳密であるとは限らない。例えば、最も著名な仏国寺大殿は、その基礎は山の斜面を埋めて高く削って低くして出来た。殿内の地面は前が低く、後ろが高く、高低差が50cm以上あり、その前後の檐柱の高さの差は50cm前後である。最も異なる所は仏壇で、一部分は元の土石を削って作り、その東北隅は岩石から削って出し、内槽の隅柱はその上に立つ。これから南の各内槽の後柱は全て仏壇の上に立つ。この仏壇は元々の土を削って、槽を開き石礎を嵌め込んで、礎の上に柱を立てた。実際、後槽の各柱はどれも地面に届いて居らず、土を削ってできた仏壇の辺縁に立ち、後の檐柱は又60cm前後短い。だが、この構造のように千年の時を経て、度々の地震を経て未だ倒壊損傷しないのは、実に奇跡である。その鋪作層全体が強く、一部分の付加を転移分配出来ている結果かもしれない。
 已に発掘した唐宮の各主要な殿宇は、版築の殿基の上に孔を掘り、石柱櫍(※注)と柱礎を嵌め込み、そのたの措置はない。壁を築くのも亦、直接殿基の上に築き、二度と壁基礎を作ることはなかった。だが、近年発掘した唐青龍寺意思では、その西側大殿早期は桁行13間、梁間5間で、版築の基礎が、残厚約1.3m。唐宮の工法と異なり、その柱礎は基礎の上に方形の柱孔を掘り、深さは築土の基底の下に達し、原地面に少し入り。それから孔に瓦を1層敷いて上に1層築土し、柱礎の底面まで、方形の瓦屑の混じった礫土で版築している。この殿の礫土は方2.6m✕2.2m、深さ1.4mで,寸法が甚だ大きい。この種の工法は、実際、全面の基礎を改め、独立した柱基礎として、台基の築土は埋め土の性質に近く、版築は深く堅くする必要がなく、版築の工程量を減少させる。瓦屑を加えた築土は、積載能力が大きく増すだけでなく、抗湿陷能力も大きく増強し、柱基の沈下を心配することもない。史書の記載に拠れば、唐の含元殿や太廟等の重要建築は皆、曾て大雨に因って柱の沈下事故が発生し、素の築土が完全に湿陷を免れる事ができないことを証明していて、この種の工法が発展した。青龍寺の創建は隋で、唐慶雲二年(711年)に青龍寺に改め、名刹をなった。この種の基礎工法はこの時採用されたもので、大明宮の建立は遡ること50年である。これは、高宗則天武后の大興宮室建築後半世紀近い時期、基礎工程上も発展があり、木架構方面の発展と歩みを一つにしているのである。
   (※注)柱櫍:柱礎と柱の間に置く円形の木座~下図の矢印 
257 隋唐の建築技術   磚石構成(2)_e0309314_16274358.jpg


by songofta | 2017-09-14 16:45 | 古建築 | Trackback(3) | Comments(0)
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