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231 大木架構 殿堂式と庁堂式

中国古代建築史 (抜粋) 巻三

第十章 建築著作と匠師



3.大木架構
(1)架構類型
 《法式》は当時の建築を三大類型に分ける;殿堂、庁堂と余屋で、その架構類型も3類に分け、巻三十一中に殿堂と庁堂の側面図を描来出す。余屋類は庁堂架構と同じものを除き、《法式》巻五挙折制度の1節中に“柱梁作”1詞があり、即ち第3類架構を指す。これを除き楼閣建築の1類がある。

1)殿堂式架構
 等級の高い建築に用い、その特徴は3つある:
 ①明栿草栿の2つの架構があり、その違いは“およそ明梁は天井が載り、草栿はその上に在って、屋根の荷重を承ける”。
 ②内外の柱は同じ高さで、柱間に頭貫、地栿を置き、柱框層を形成する。
 ③明確な鋪作層が在る。
 殿堂の架構毎に、屋根、鋪作層、柱框層が重なって出来る。この他、副階を付ける者は、殿身の四周に又副階架構を挿入し、即ち片流れ屋根、鋪作層、副階柱框層が必要になる(図10-64,65)。
231 大木架構 殿堂式と庁堂式_e0309314_11575203.jpg
231 大木架構 殿堂式と庁堂式_e0309314_11580654.jpg
 《法式》巻三十二所載の殿堂側面4式は、副階を持つ者3、殿身部分は皆3層畳落式で、その殿身の草栿は、均しく殿身に依って多層に積み重なった梁が全て深く進入し、明栿部分は内柱の数目に依って、位置と斗栱の分層形式を違えて場所に合わせて変化し、図様中の明栿架構の形式は下記の如くである(以下、幾かの例に示す殿堂は副階を持ち殿身は7間で、副階の無い者は殿身が9間である):
(A)双槽或は金箱斗底槽式
 十架椽(注;奥行が、垂木桁の間で10在る建物の意)で、殿内は双槽(頭底槽はこれによる)、外側は8鋪作重栱で出跳は2杪3下昂、内は6鋪作重栱で出跳は3杪。明栿と草栿はゆるい対位関係で、前後の明栿は長さ約3椽、明栿架構形式は前後3椽栿で4柱を用いる。もし金箱斗底槽とすれば、最後の一次間は梁架を用いず、柱間の頭貫に改造し、上に内槽鋪作を設け、外檐鋪作と相応じる。副階の梁架は皆、乳栿を設ける;明乳、草栿は各1本、乳栿首は外檐鋪作に入り、乳栿尻は殿身檐柱の柱身に挿入し、明栿の下は丁頭栱を以ってこれを承ける。
(B)双槽式
 十架椽で、殿内は双槽、外は7鋪作重栱で出跳は2杪2下昂、内は6鋪作重栱で出跳は3杪。明栿の架構は上と同じ。副階の外側は5鋪作重栱で出跳は1杪1下昂、内は5鋪作で出跳は2杪。以上は各計心造。副階の架構形式と工法は同上。
(C)単槽式
 8架椽の殿内は単槽、外は5鋪作重栱で出跳は1杪1下昂、内は5鋪作重栱で出跳は2杪。明栿と草栿はゆるい対位関係。明栿の架構は3椽栿に対して3柱形式の5椽栿を採用している。副階の外は4鋪作の挿昂造で、内は1つ出跳する。副階の架構形式工法は上と同じ。
(D)分心槽式
 十架椽で、殿内は単槽、外は6鋪作重栱で出跳は1杪2下昂、内は5鋪作重栱で出跳は2杪、以上は各計心造。明栿の架構は前後5椽栿分心で3柱式。

2)庁堂式架構の特徴
①内外の柱の高さが異なる。内柱は梁端或は梁下面を承ける所まで高く上がり、その上に垂木桁を承ける。
②梁栿は皆、彻上明造で、草栿は無く、梁尻は内柱身に挿入する。梁栿の間に順脊串を使用し、襻間等縦向きに連繋する部材が比較的多い。
③鋪作は比較的簡単で、最多は6鋪作で、一般に4鋪作を用い、内柱が高く上がり、梁栿の尻が直接内柱の柱身に挿入できる場合、鋪作を使用しないので、鋪作宋を形成せず、外の鋪作が主と成る(図10-66)。
231 大木架構 殿堂式と庁堂式_e0309314_11594979.jpg
庁堂の架構は建屋の奥行の大きさに従って、内柱の数は多くの変化を産み、《法式》巻三十一は庁堂の側面図を19種の多数を描き、それは下の数種に分けられる。
  前後の通檐に2柱を用いる:《法式》中、僅かに4架椽の建屋に用いる。実例中6架椽建屋で通檐2柱を用いる者は、山西省平遙の鎮国寺大殿である。

  3柱を用いる者:10架椽建屋で分心に3柱を用いる。
            8架椽建屋で乳栿対6椽栿に3柱を用いる。
            6架椽建屋で分心に3柱を用いる。
            6架椽建屋で乳栿対4椽栿に3柱を用いる。
            4架椽建屋で分心に3柱を用いる。
            4架椽建屋で劄牵、3椽栿に3柱を用いる。
  4柱を用いる者:10架椽建屋で前後3椽栿に4柱を用いる。
            8架椽建屋で前後乳栿に4柱を用いる。
            8架椽建屋で前後3椽栿に4柱を用いる。
            6架椽建屋で前の乳栿と後の劄牵に4柱を用いる。
  5柱を用いる者:10架椽建屋で前後の乳栿に5柱を用いる。
            8架椽建屋で分心乳栿に5柱を用いる。
  6柱を用いる者:10架椽建屋で前後并びに乳栿に6柱を用いる。
            10架椽建屋で前後の各劄牵乳栿に6柱を用いる。
            8架椽建屋で前後劄牵に6柱を用いる。

3)柱梁作
 《法式》巻五の挙折の1節に拠れば:”挙屋の法は、殿閣楼台の如きは、先に前後の橑檐方の間の距離を量り、3“分”に分け(もし余屋の柱梁作或は出跳が無い場合は、前後の檐柱中心で)、橑檐方の後ろから大棟桁までを1“分”挙げる・・・・・” この段の文字が言うのは、明柱の梁作一類架構は“余屋”類の建築中での使用は、この種の架構形式の名称から判るのは柱梁組成から来ている事で、具体的形制は《法式》が今一歩記載していないが、実物資料の分析から、架構は梁柱が一緒に繋がるだけでなく、多くは斗栱を使用せず、或は“斗1つが替木一類を支え”、《清明上河図》に見られる民家(図10-67)の如くである。《法式》の余屋類の建築は主要に穀物蔵や物置である。
231 大木架構 殿堂式と庁堂式_e0309314_12002472.jpg
4)楼閣架構
 楼閣建築は《法式》が未だその見立てをしていない類の一つである。その屋根部分は殿堂式か庁堂式の架構を採用し、楼層の間の構造は、ただ巻四の平座の制度の1節で3種の工法が在るとノベルだけである。
(A)挿柱造平座、即ち楼閣上層の“柱根が(平座層の)大斗の上で交叉”する。平座は柱框層(即ち短柱と頭貫、梁栿等が形成する構造の架構)と平座鋪作層により構成し、柱框層は又楼閣の下1層の鋪作層の上に置かれる。実例は天津市薊県の独楽寺観音閣や山西省大同の善化寺普賢閣等である。
(B)纏柱造平座は、楼閣上層柱が平座柱より1柱径分後退し、この時、柱根は地板の鋪板方及び下部柱頭方の上にあり、方向の変わる隅部では、上層柱は正・側両面で1柱径分後退し、平座鋪作は隅の大斗3枚に置かれ、上層柱周囲をぐるりと廻り、このため纏柱造と言われる。未だ実例を見ない。
(C)永柱造平座は、楼閣上層柱と平座層の関係はA或はBと同じで、平座層は楼閣下層に依拠せず、直接地面より立柱して平座層の柱框層を構成し、柱框層の上は即ち平座鋪作層となり、例えば河北省正定の隆興寺慈氏閣の用になる(図10-68)。
231 大木架構 殿堂式と庁堂式_e0309314_12005539.jpg
 上に列挙した3種の工法より知れるのは、たとえどの1種であっても、楼層の間にも皆平座層があり、室内は楼板を承け、室外は張出し台を形成し、登って眺望を見る事が出来る。一般に平座鋪作の下には腰檐一周が設けられる。有る場合は平座層は室内を暗層を作り、只構造物として作用し、しようする空間として作られず、例えば応県木塔の様なものである。暗層を作らないこともでき、室内空間は上層に直通する、河北省正定の隆興寺転輪蔵殿のごとくである。この種の1層1層の積み重ねに依ってできる楼閣は垂直方向の剛性部材の不足は最大の欠陥である。水平荷重を受ける時、均等でない変形を生じ、楼閣に傾斜か捩れが発生する。


  ⇒ 目次7 中国の古建築技法”以材為祖”


  ⇒ 
総目次 
  ⇒ 
目次1 日本じゃ無名? の巻
  ⇒ 目次2 中国に有って、... & 日本に有って、... の巻
  ⇒ 目次3 番外編 その他、言ってみれば      の巻
  ⇒ 目次4 義縣奉国寺(抜粋)中国の修理工事報告書 の巻
  ⇒ 目次5 日本と中国 あれこれ、思うこと     の巻
  ⇒ 目次6 5-8世紀佛像の衣服
# by songofta | 2017-06-19 12:26 | 古建築 | Trackback(2) | Comments(0)

230 斗栱4 鋪作の分布と分槽

中国古代建築史 (抜粋) 巻三

第十章 建築著作と匠師


4)扶壁栱
 一列の補作の長手の中心線上で使用する栱を扶壁栱と謂い、又は影栱と謂う。《法式》所載の計心造標準型の補作は、扶壁栱も標準的と成る筈で、重栱造の者は、泥道栱、慢栱、素方となる。但し、補作が局部的に偸心造を採用する時、扶壁栱は調整する必要が出て来る;《法式》には以下の調整方案が示される:
 “5鋪作1杪1昂でもし下1杪偸心ならば、泥道重栱之上に素方を設け、素方の上に又令栱を置き、令栱のの上に承檐方を設ける。“
 “単栱6鋪作1杪2昂或は2杪1昂は、もし下1杪偸心ならば、ダイトの上に2令栱2素方を設け、(方の上は平鋪遮檐板)或は只泥道重栱上に素方を設ける。“
 “単栱7鋪作2杪2昂・・・・・もし下1杪偸心ならば、大斗の上に2令栱2素方を設け(素方の上は平鋪遮檐板)或は泥道重栱上に素方を設ける。“
 “単栱8鋪作2杪3昂は、もし下2杪偸心ならば、泥道栱の上に素方を設け、素方の上は又重栱素方を設ける“(素方の上は平鋪遮檐板)。
 以上の初条件から見て取れるのは、《法式》が偸心造の扶壁栱に提供するモデルは“令栱、素方、令栱、素方”或は“重栱、素方、重栱、素方”で、その核心の考え方は即ち素方を設け、正心位置の素方に2つの重栱以上の位置を示させ、それによって偸心造で減少した出跳素方が引き起こすかも知れない荷重を承ける力点の弱さを補って、鋪作が外力を受けた時に発生する変移が少なく成るように保証している。現存の実例は、《法式》が提示する正心素方に比べてもっと多く、正心位置の泥道栱或は慢栱や令栱は前部素方に改変され、或は1本の泥道栱だけ残り、その上は皆若干層の素方である(図10-62)。
230 斗栱4 鋪作の分布と分槽_e0309314_15334762.jpg
5)鋪作の分布と分槽
①鋪作の分布:
 鋪作は、早い時期は只柱頭に置くだけで大きく張り出す垂木の需要を満足していたが、発展して宋代になると詰組が1、2組増加し、宋以後、詰組の数量が増加し、清代になると平身科即ち6組の多きに至る。この変化は鋪作の功能に対する認識を反映し、単純な出跳を承ける功能から“鋪作層”の概念に発展してきた。この様に古代建築が鋪作の運用に対して質的な飛躍が産まれ、構成の中で再び1個1個の孤立的な部材とはならず、構成全体の把握が出現し、鋪作層はまるで一廻りの梁で有るかの如く、各間の梁架構を全体として連成する。鋪作層を形成するために、《法式》は詰組の処理に対してまるで重視しているかのように、真っ先に詰組の数を少なくとも柱頭鋪作と同じにするよう要求し、同時に詰組の分布情況に対して規定を作っている。“中央間においては須らく詰組2組を用い、次間及び梢間は各1組を用い、その鋪作分布は遠近皆均しくさせる”。接続又は結合する柱間の区分が異なる情況は、もう一歩注釈をすると、第1種の情況はこうである:“もし一つ一つの間が皆、2組の詰組を用いるならば、間毎の幅寸法は皆同じと成る”。第2種の情況はこうである: “只中央の間に2組の詰組を用いる者ならば、仮に中央間が1丈5尺で、次間が1丈の類である”。第3種の情況はこうである:“或は間の幅が均しくなく、1組の詰組が、1尺を超えられない”。第1、第2種の情況に対して、鋪作分布と間の区分との関係は非常にはっきりしていて、この両種の情況の下では、鋪作の間の距離は完全に等しい。ただ第3種の情況は比較的複雑で、《法式》は未だ明間の幅寸法の大きさと間の幅寸法が異なる場合の条件を示さず、只1条の原則を提示して、鋪作分布の遠近が皆等しいという前提の下、“1組の詰組が、1尺を超えられない”という。この句の説明する意味を徹底していないので、人々に各種の異なった理解をさせる事になった。この1尺は隣り合う2組の補作の立面の隙間と認識するかも知れないし;この1尺は補作の中止から中心が建築の間幅の逓減に従って低減する距離と認識するかも知れないし、隣り合う2つの間の補作の中心から中心の差かも知れない。現存の若干の古建築の実例を結合して見てみると、第2種の理解は比較的合理的である。ここで主要に言っているのは、間幅が異なる情況で、現存の唐、宋、遼、金時代の古建築実例にも多く間幅が異なる情況があり、この“1尺”の含意を見極めるのに有力な証拠を提供するということである。

  表7に列挙した建築を根拠に見てみると、間幅の逓減につれて、補作中の中心から中心の距離も逓減し、其の中の半分以上の建築は、その鋪作の中心から中心の逓減差は1尺以内で、これ等の建築物上の鋪作分布も確実に比較的ムラがない。残る半分足らずの建築物は、その鋪作分布は遠かったり近かったりで、鋪作の中心から中心距離は大きかったり小さかったりで、晋祠聖母殿上の檐側の中央間の鋪作の芯々距離は次間の補作の芯々距離より95cm小さく、3尺に近く、次間詰組の芯々距離は梢間の詰組の芯々距離に比べてただ17cm小さいだけで、補作はこの様に分布して、完全に所謂“遠近皆均しく”の原則に符合せず、討論のしようが無い。従って“1組の詰組が、1尺を超えられない”は補作の中心から中心の距離の逓減の幅は1尺を超えてはならないと理解すべきである。
 しかるに隣り合う2つの補作の間の隙間が1尺を超えないという理解はどうであろうか?この問題は間幅が異なる範疇の中に有るので、間幅が中央間から始まって段々と逓減して、もし2組の鋪作の間の隙間が1尺を超えないという要求を満足出来て、又間幅を逓減させる必要があれば、まあ想像出来ることは、この時の間幅は逐次逓減の幅は非常に小さくなり、言うまでもなく数個の間を保つ建物で、中央間から梢間までの手源の総寸法は一定の範囲内に制限する必要があり、もしどの間も皆1組の詰組ならば、この範囲は只2尺あるだけであり;もし中央間に2組の詰組を用いれば、次間が中央間に比べて“1/3中央間の広さ”を逓減するのを除いて、次間から梢間までの逓減値は依然只2尺有るだけで、且つこの2尺はある種極端な情況であり、梢間の鋪作の間の隙間はゼロに等しくさせ、実際に建物を建造する時にこの様な処理は不可能で、全て2組の鋪作の間は一段の距離を必要とする。梢間の鋪作の分布は《法式》が許す特殊処理をするにしても、梢間の間幅がかなり小さい時、詰組は隅鋪作と連栱交隠とすべきである。即ちこの様にする時、この2尺の範囲は依然として梢間のもう半分の鋪作との距離の管理下にある。表10-7に列挙した奉国寺大雄宝殿、晋祠聖母殿、隆興寺摩尼殿、玄妙観三清殿ら13座の5間と7間の建築に反映された間幅の逓減値から、11座は2尺を超える範囲で、わずかに仏光寺大殿、仏光寺文殊殿の間幅逓減の総値が2尺の範囲内で、間数がかなり少ない建築、例えば3間などは、まだ造ることはできるが、間数の多い建築の実現は困難である。上述の仏光寺大殿と仏光寺文殊殿はこの種の情況に符合すると言っても、その間幅寸法の変化はかなり小さく、間幅が異なると言っても、仏光寺大殿の梢間は第2次間に比べて逓減は僅かに2尺で、その他の間の間幅は完全に等しく、且つ詰組は非常に簡単で、この2つの建築は一種特例と言うことが出来る。
230 斗栱4 鋪作の分布と分槽_e0309314_15440199.jpg
 《法式》の大木作制度中、普遍的に貫徹する“定法が有ってこそ、定法でないやり方がある”の指導思想は、もし鋪作の隙間が1尺を超えない事を要求が成立するとするならば、建築の間の変化を制限することにも等しく、制度の中の全てに対する指導思想と矛盾してしまう。所謂、鋪作の芯々の逓減差を1尺の内に管理する意味は、間幅の逓減幅を突然変化させず、平均して減らしていき、且つ間数の多寡に応じて逓減の総寸法を異ならせることである。このような推測は、歴史上の若干の建築実例の情況と符合し、“鋪作分布の遠近は皆均しい”の原則にも符合する。
 《法式》がこの様に詰組の配置を重視するのは、立面の造形美の為だけではなく、果汁を平均して承ける効果を得るためで、計算が証明する所に拠れば“詰組と柱頭鋪作は橑檐方(注;丸桁に当たる)から来る荷重を承ける時、その分配比はだいたい等しい”。 詰組が申し分無く改善された柱頭鋪作が荷重を承ける状況は、計算の中では柱頭鋪作の荷重の集中は昂尾に発生し、剪断破壊を受け易い。詰組の存在と増加したその数は、柱頭鋪作の剪断破壊の傾向を減少させることが出来る。

②鋪作と分槽
 鋪作にたいして遠近を皆均しくするのを除いて、建築内部は如何に分布するだろうか?《法式》巻三十一大木作制度の図様中に殿閣の地盤分槽図(注;伏図)が4枚載っている。即ち;
  “殿閣身地盤九間身内分心斗底槽”;
  “殿閣地盤殿身七間副階周匝各両架椽、身内金箱斗底槽”;
  “殿閣地盤殿身七間副階周匝各両架椽身内単槽”;
  “殿閣地盤殿身七間副階周匝各両椽身内双槽”(図10-63)。
230 斗栱4 鋪作の分布と分槽_e0309314_15375734.jpg
 此処の“地盤”は建築物の平面図に当たり、“分槽図”は即ち建築物の仰視平面図を指し、柱頭部位の平面に相当する;これにより、その分解は2つの概念から理解出来る。“分槽図”の寸法と平面図は異なり、それは柱は側脚を持つからで、柱頭平面は柱脚平面の寸法より小さいのは謂うまでもない。そして“槽“の概念は《法式》巻四の多出跳の華栱に対して“騎槽檐栱”と称し、鋪作の正心最上に置く“圧槽方”等が知られるが、つまり1列の鋪作が在るのが縦中心線と言うことである。建築物の中で、柱配置網の形式が異なることにより、異なる鋪作分布方式を形成する。凡そ建築内部に只1列の内柱を設ける者は、柱上に配置した斗栱を称して“身内単槽”と言い、中心に1列の中柱を設けた者は、柱上配置の斗栱を“分心槽”と言い、もし建築内部に2列の内柱を設ければ、柱上配置の斗栱を“身内双槽”と称し、建築内部の柱が囲い状の配列ならば、その上段一周の斗栱は“金箱槽”と称する。一組一組の槽上の鋪作により、出跳する先端に従って横栱の方向は素方を置き、計心造は1出跳毎の先端は皆1本の素方が有り、且つ鋪作の正心位置は又正心方と扶壁栱を共通で工作し、この様に1棟の建築中に多くの高低位置の異なる木方が組み合わさって一つの閉じた木框が出現し、且つ木框は1組の鋪作位置毎に足材栱が形成するものと垂直に交叉する短木があり、木框は一つの立体的な長方形の網目層を形成し、これが鋪作層で、その構成模型は平面的ではなく、今日の空間構成に類似したものである。隅華栱や虾須栱(注;虾はヒキガエルの意)或は斜華栱を持つ鋪作層中で、この種の“空間構造”は水平面位置に幾組かの45°方向の斜め部材を出現させ、更に完全さを加えた。遺憾な事に、《法式》制度中に虾須栱や隅華栱は述べていても、斜華栱使用の消息には無関係であった。但し《法式》が出来る前、已に斜華栱を使用した実例が有り、例えば北宋皇祐余年(1052年)に建った河北正定の隆興寺摩尼殿である。《法式》より晩い例では山西大同の善化寺三聖殿(1128~1143年)と大同の上華厳寺大雄宝殿(1140年)等である。


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  ⇒ 目次2 中国に有って、... & 日本に有って、... の巻
  ⇒ 目次3 番外編 その他、言ってみれば      の巻
  ⇒ 目次4 義縣奉国寺(抜粋)中国の修理工事報告書 の巻
  ⇒ 目次5 日本と中国 あれこれ、思うこと     の巻
  ⇒ 目次6 5-8世紀佛像の衣服
# by songofta | 2017-06-14 15:46 | 旅と地域 | Trackback(9) | Comments(0)

229 斗栱3 組合せと変化

中国古代建築史 (抜粋) 巻三

第十章 建築著作と匠師



(3)鋪作の組合せと変異
鋪作の組合せは使用する部材類型から3種に区分される。即ち、巻頭造、下昂造と上昂造である。巻頭造は、斗と栱組成の鋪作で、《法式》中で多く内檐の鋪作に用いられ、実例は遼代建築に多く見られる。下昂造は、鋪作と下昂組成の鋪作を指し、外檐の鋪作に用いられる。上昂造は、上昂と斗と栱組成の鋪作を指し、内檐及び平座の鋪作に用いる。
 鋪作の組合せは横肘木と出跳する肘木、昂の関係から来る区分で、偸心造と計心造の別がある:偸心造は出跳する栱(肘木)、昂(尾垂木)の先端に横肘木を設けず、計心造は出跳する栱、昂の先端に皆横肘木を設ける。《法式》巻三十に描く下昂造鋪作の側面、及び巻三十一に描く殿堂側面中の下昂造及び内檐の巻頭造鋪作は皆計心造で、これは正に《法式》が高く評価する鋪作の組合せ方式である。偸心造鋪作は、《法式》の図中僅かに巻三十一に描く上昂造鋪作にあり、上昂造の6,7,8鋪作は皆偸心造を採用するが、意外にも騎鋪作を設けて、偸心造で出跳させた栱や昂の不安定さを補い、変移や是正の問題の発生を簡単に解決する。且つ、上昂造の側面の内(外)への出跳は、依然として計心造を採用している(図10-55)。実例は蘇州市玄妙観三清殿の内檐鋪作で、6鋪作の上昂造の下一枝は偸心で、外隅は7鋪作巻頭造で下一枝は偸心とする(図10-56)。
229 斗栱3 組合せと変化_e0309314_21353088.jpg
但し、巻四の“総鋪作順序”の一節の局部偸心の工法に謂うのは、次の如くである:
“5鋪作は1枝1昂で、もし下1枝が偸心ならば:・・・・・・”
“単栱7鋪作が2枝2昂及び6鋪作で1枝2昂は、もし下1枝が偸心ならば:・・・・・・”
“8鋪作は2枝3昂に作り、もしもし下2枝が偸心ならば:・・・・・・”(図10-57)。
229 斗栱3 組合せと変化_e0309314_21365640.jpg
 実例で使用する全ての偸心は、宋代以後見当たらないが、大多数の建築は尚、全計心造を使わず、局部に偸心工法を採用する。現存の11個の7鋪作の実例中、9個が局部偸心工法を採用している。例えば、独楽寺観音閣上層、応県木塔1層は2枝2下昂を採用し、1,3枝は偸心である。玄妙観三清殿、保国寺大殿は皆、2枝2下昂で、下1枝は偸心である。
 鋪作にあっては、計心でも良く、局部偸心でも良く、どちらも横肘木を如何に安置するかと謂う問題で、出跳した斗の上が1層の者は単栱造となり、構造は簡単明瞭である。出跳した斗の上が2層は重栱造となり、盛大な芸術効果があり、“桁梧復畳、勢合形離(アオギリの桁が積み重なり、形は独立しているが構造は不可分である)”で、雄壮な勢いがある。《法式》の殿堂の図様は皆“重栱造”に描き、同時に巻十七、巻十八の大木作功限一、二に列挙する“殿閣の外檐鋪作”“殿閣身槽内鋪作”“楼閣平座鋪作”等の“4鋪作から8鋪作に至る内外そして重栱計心”がある。ここに表れる重栱計心造は当時の殿堂鋪作の主要な工法である。

1) 《法式》中の鋪作類型(図10-58)
 《法式》中に言及する鋪作組合せは若干異なる情況が有り、それによって以下の諸形式が形成された。
①単斗支替:垂木桁の下に用い、早期建築遺物中にも外檐に用いる者があり、例えば雲崗の北魏9窟など。
  (注;支替は替木=舟肘木様の横材を支える意)
②単栱支替:垂木桁の下に用い、単材の攀間。(注;攀間は梁の蜀柱を繋ぐ横材)
③単栱支替:垂木桁の下に用い、両材の攀間。
④斗口跳:庁堂の柱頭鋪作に用い、梁の先端を柱外に伸ばして華栱の先端とする。
⑤把頭絞項造:庁堂の柱頭鋪作に用い、梁の先端を柱外に伸ばして耍頭とする。
⑥4鋪作巻頭造:庁堂の外檐鋪作に用いる時、内に出跳して華栱頭を作っても良く、両側が出跳して㭼头(注;一種の手挟様の雀替の類)を作っても良く、その詰組は挑斡を用いても良く、上は垂木桁を突き抜ける。(注;この項は良くわからない)
⑦4鋪作挿昂造:外檐鋪作に用いる
⑧5鋪作重栱計心下昂造:外檐鋪作に用いる。
⑨5鋪作重栱計心上昂造:外檐鋪作に用い、及び平座鋪作にも。
⑩5鋪作重栱計心巻頭造:外檐鋪作と平座鋪作に用いる。
⑪5鋪作単杪単昂下一杪偸心:外檐鋪作に用いる。
⑫6補作重栱計心単杪双下昂:外檐鋪作に用いる。
⑬6鋪作重栱計心巻頭造:内檐鋪作、平座鋪作に用いる。
⑭6鋪作双杪単上昂偸心;出跳した先端の中央に騎鋪作を設け、内に三杪重栱計心造を出す:内檐鋪作、平座鋪作に用いる。
⑮6鋪作単杪双下昂下一杪偸心単栱造(内側は規定無し):外檐鋪作に用いる。
⑯6鋪作双杪単下昂下一杪偸心単栱造(内側は規定無し):外檐鋪作に用いる。
⑰7鋪作双杪双下昂重栱計心造;内に6鋪作三杪重栱計心造を出す:外檐に用いる。
⑱7鋪作重栱計心巻頭造:内檐鋪作、平座鋪作に用いる。
⑲7鋪作双杪双上昂偸心;内に出跳した中央に騎鋪作を設け、内に6鋪作で三杪重栱計心造を出す:内檐鋪作、平座鋪作に用いる。
⑳7鋪作双杪双下昂下一杪偸心単栱造(内側は規定無し):外檐鋪作に用いる。この類型は重栱造を以って更に理に合う様になる、図10-58に示す。
㉑8鋪作双杪三下昂重栱計心造;内に6鋪作で三杪重栱計心造を出す:外檐鋪作に用いる。
㉒8鋪作重栱計心巻頭造:内檐鋪作、平座鋪作に用いる。
㉓8鋪作三杪双上昂偸心;内に出跳した中央に騎鋪作を設け、内に6鋪作で三杪重栱計心造を出す:内檐鋪作に用いる。
㉔8鋪作双杪三下昂下双杪偸心単栱造(内側は規定無し):外檐鋪作に用いる。この類型は重栱造を以って更に理に合う様になる、図10-58に示す。
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2)減鋪と減跳
 前の段で列挙した鋪作は所謂、《法式》が帰納する標準型で、これ等の標準型からは、1組の鋪作中に存在している“減鋪”問題を見出す事ができ、これは主要には下昂造の鋪作中に発生し、昂尾が斜めに上がることで、内に出跳する栱が必ず1層或は2層減少せざるを得ず、1組の鋪作の内に出跳する部材の長さが非常に短く無くとも、どの部材も均しく荷重を支えるという要求をかなり良く満足する。これにより《法式》巻四造栱之制の規定に“もし鋪作が数多く重なる時、或は内外倶に均しくする、或は内に1鋪或は2鋪減らして出跳する”がある。ここで特別強調している“もし鋪作が数多く重なる時”は、主要に7,8鋪作を指して内の出跳に減鋪が発生する様に言っている。更に情況によっては、内装に天井を作る時の高さと位置を考慮して、減鋪する必要があるかどうかを見る必要がある。これにより《法式》巻四の総“鋪作次序”の一節にある“もし鋪作が多く、内の出跳が恐ろしく遠く成るなら、内を1鋪或は2鋪減らす”の工法がある。この種の情況は、乳栿位置に在る天井に対しては特に重要で、ここは2つの檐長の幅があるだけで、即ち12尺で、もし外檐鋪作の内側の出跳と殿身の槽内鋪作が均しく7鋪作か8鋪作の巻頭造ならば、3等材の建物について言えば、7鋪作は、鋪作本体の出跳が5.4尺で、両側の鋪作が占める空間の寛さは10.8尺、中間の天井の寛さは1.2尺となり、明らかに美観にそぐわず、もし両側の鋪作の出跳を減じて、一側から3尺とり去れば、間の天井は尚6尺残り、天井の寛さ寸法が似合ったものになるが、この様にするには新しい問題が出てくる、つまり天井が低くなり、《法式》が謂う“もし天井が低ければ、天井の下に更に慢栱を追加する”があり、これは内側の出る最後の出跳の令栱は本来単栱1つだが、この時は重栱に改変して天井桁を承ける(図10-59)。一般に鋪作に入る乳栿は高さ42分、最後の出跳した先端が重栱に変わった後、下の乳栿を納めるのに丁度良く、天井桁は乳栿の背の上に掛かり、梁面を抉る事がない。
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 減鋪のもう一つの意味は、建築全体に就いて言えば、例えば《法式》巻四で指摘する“副階と腰廻の鋪作は殿身を超えてはならず、或は殿身から1鋪を減らす”。この様に造ることで、主と従がはっきりする芸術効果が得られる。楼閣建築に対して、《法式》巻四にある“凡そ楼閣の上層の鋪作は、或は下層より1鋪を減ずる”の規則は、この「或は」は、上層が下層の内部寸法より小さくなるので、鋪作もそれにつれて減少することで、例は応県木塔である。但し現存するこの時期の楼閣は、往々にして上下層の鋪作は皆同じで、この文の“或は”の語気が見えるのは、この一項が非常に弾力性のある規定だからなのである。

 “減跳”は、《法式》巻四“総鋪作次序”一節中に、詰組と隅鋪作の関係の時に出された“凡そ隅鋪作は詰組と互いに干渉してはならず、或は梢間が近い者は須らく栱を連ねて交差を隠すべきであり、(詰組が遠くに移して、間が不均等になるべきではない)。或は隅から2つ目の詰組の隅に近い所は上から出跳1つを減ずる”。この規定から知れるのは、“減跳”は建築の局部で発生し、別の1組の鋪作を指し、“減跳”は実際上1層の華栱或は桁を減少させると言っても、但7鋪作の内側出跳だけでなく、外観上その特殊性を識別出来ることから、この所の詰組は出跳1つを少なくし、立面上の鋪作の層の中から出跳1つを明確に取り去る(図10-60)。
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3)列栱
 隅鋪作中で、大斗内から3筋の栱が出る必要があり、栱の形式や、枘孔、長さは皆変化が発生し、これ等の変異した栱が即ち列栱である。
 《法式》巻四造栱之制の中に一節があり、専門に列栱の特徴を叙述して、“凡そ栱は、隅に至って出跳が交叉するがこれを列栱と謂い”、その意味は元々“横栱”は隅大斗或は隅華栱の交互斗を通った後、“出跳の栱”に変成するが、これに反して、出跳栱は横栱に変成する。例えば、泥道栱と華栱が出跳して相列ぶと、この栱は一端が泥道栱で、もう一端が華栱になる。鋪作の組合せ中、一種の鋪作毎に隅の所では皆列栱を使用し、これによって栱の形制は隅斗栱中で大きな変化を発生し、鋪作の鋪数はより高く列栱はより複雑になる。《法式》巻四は、列栱を列挙して、以下の数種をあげる:
 ①“泥道栱と華栱が出跳し列ぶ”
 ②“瓜子栱と小栱頭が出跳して列ぶ”;小栱頭は即ち長さが華栱より稍々短く、23分しか無く、3瓣巻殺。其の上に散斗を設ける。
 ③“瓜子栱と華栱頭が列ぶ”、平座鋪作に用いる。
 ④“慢栱と切幾頭が列ぶ”、“切幾頭”は家具の幾案(注;小さい机)の出る先端を裁断したような形式のもの
 ⑤“慢栱と華頭子の出跳が列ぶ”、隅の内側に下昂時使用する。
 ⑥“令栱と瓜子栱の出跳が列ぶ”、此処での両者は皆横栱で、列栱と似て本来の意味と反するが、実際ここでは瓜子栱は未だ出跳の位置にいて、但瓜子栱の型制を採用しているだけである。
 この他、《法式》巻十八には、大木作功限の中に記す隅斗栱の列栱には、若干の“分首相列“或は“分首相列身内隠出鴛鴦交首栱”の列栱が出現し、次のようである:
“瓜子栱列小栱頭分首”
“瓜子栱列小栱頭分首,身内に鴛鴦交首栱を隠出”
  “慢栱列切幾頭分首”
  “慢栱列切幾頭分首,身内に鴛鴦交首栱を隠出”
  “令栱列瓜子栱分首”
  “令栱列瓜子栱分首,身内に鴛鴦交首栱を隠出”
  “華栱列瓜子栱分首”
  “華栱列慢栱分首”
 所謂、分首相列は、栱の両端が切り離されて開き、隅の鋪作の構成が、正、側、隅3面に均しく出跳する栱が設けられることにより、巻四の所謂列栱の長さが皆、45°方向の隅肘木をを超えた後、依然元の肘木長を維持し、或は小栱頭に変化し、切幾頭類の部材は、45°方向の隅華栱を超える過程で、同時に正または側方向の出跳栱を超え、この様な列栱は長さを増すことで、列栱両端は出跳する隅華栱に切り離され、例えば第一華栱の先端の瓜子栱とそれに列ぶ小栱頭は第一華栱の外ですぐに処理される、これが分首相列である。そして第二華栱先端の瓜子栱とそれに列ぶ小栱頭はもっと遠くで切り離され、且つ第二華栱と隅華栱の間の一段栱身は鴛鴦交首栱と成って隠刻されなければならなくなる。1組の外檐隅7補作斗栱中には、14条の列栱を使用し、9条の分首列栱が有る(図10-61)。
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 栱と栱が相列する者を除いて、まだ栱とその他の部材が列ぶ者、例えば慢栱と耍頭の相列は、4鋪作斗栱中に用い、華頭子と泥道栱は、4鋪作挿昂造斗栱に用いるなどがある。令栱と耍頭分首相列は、楼閣の平座鋪作に用いる。華栱と柱頭桁列は平座鋪作に用いる。更に耍頭と方桁列は楼閣平座に用いる。 4鋪作から8鋪作の列栱は16種の多さに上り、現在各種列栱の使用部位は下表の如くになる(表10-6)。
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# by songofta | 2017-06-09 21:53 | 古建築 | Trackback(14) | Comments(0)

228 斗栱2 下昂、上昂

中国古代建築史 (抜粋) 巻三

第十章 建築著作と匠師



3)下昂、上昂
 (注;下昂は尾垂木、上昂は上向きの物で日本では未だ知らない)

 ①下昂:早期の斗栱は、本来“昂”の類の部材で、斗栱の発展に従い、やっと1組の鋪作中にこの種の斜めに置く部材を加える様になったものである。下昂の出現は、垂木を大きく伸張させる需要を満足し、軒の張り出しを深く遠くし且つ斗栱が層を重ねて出跳しないでも、軒口が高く上げ、斜め向きの昂で軒口を承け、同時に又張り出した屋根の重量を、昂尾(尾垂木尻)に架かる屋根の重量で平衡させる。下昂の斜度は、《法式》では規定は作らず、軒垂木の傾斜度を取って決め、軒垂木の傾斜度は又挙折制度(注;屋根に照りを付けること)により建物毎の軒深さが求められ、固定の数値とならない。これにより、昂の斜度は具体的情況によって定められる:但し下昂の総長さの規定は“もし昂身が屋内で上に伸びる時は皆、下平垂木桁まで”で昂尾を処理し、《法式》が示す4種のやり方で行う(図10-48)。
228 斗栱2 下昂、上昂_e0309314_17184468.jpg
 :“もし屋内で(天井の無い)明造ならば挑斡(注;梃子となる尾垂木後半部を言う)を用い、
   或は只1つの斗で承ける“。即ち、昂尾の上に只1個の斗が替木との距離を支え、
   下平槫(注;檐柱から一つ内側の垂木桁)との高さの差は18分。
 :“或は1材2栔”。即ち昂尾上に2斗と1肘木、1替木で、下平槫との高さの差は39分。
 :“もし天井を用いる時は、槫から蜀柱を出し、昂尾に挿し込む”。
 :“もし柱頭にあれば、草栿或は丁栿でこれを圧える”。
     (注);草栿は隠れて見えない梁、丁栿は身舎から妻面に渡した梁
 前の3種は、昂尾と下平槫の間の高さの差は随意であることを反映し、出跳する昂の斜め率の不安定性を暗示する。
 昂の先端は、《法式》記載に“琴面”と“批竹”等、3種の形式がある:
第1種の、昂を承ける交互斗より“外に下向きに斜めに殺ぎ、2分の厚さを残す”は昂の先端の言い、“昂上面の中央を2分凹ませ、凹みは緩やかに丸める”、昂鼻の表は凹曲面と成る。
第2種は、これを踏まえて、昂の上面は“凹みに沿って更に1分、両側の稜線を丸く殺ぎ”、昂鼻の表は双曲面になり、これを琴面昂と謂う。
第3種は、“(交互)斗より外は斜めに殺いで尖らせ、その昂の上面は平直で、これを批竹と謂う”。この他、実物中によく見るものにまだ一種の琴面批竹昂とでも謂うものが有り、批竹昂の昂上面が再度弧面を作る(図10-49,10-50)。
228 斗栱2 下昂、上昂_e0309314_17123805.jpg
下昂は長さの変化により、昂の呼び方に変化が生じる情況が2つ有り、一つは“挿昂”で、只昂頭だけが有って昂尻が無く、4鋪作で常用し、“其の長さは斜めに出跳する先端に従い”、実例は応県浄土寺大殿にある(図10-51)。もう一つは、挑斡で、その前半部分は昂を出ず、肘木を用いて、ただ後半が昂尾を作る。この種の工法の実例は虎丘二山門に見ることが出来る(図10-52)。この他、昂の長さも位置が異なることで変化が発生し、隅鋪作のように、隅昂即ち“斜め方向の長さを以ってこれを加える”。
228 斗栱2 下昂、上昂_e0309314_17124801.jpg
228 斗栱2 下昂、上昂_e0309314_17125432.jpg
 下昂断面は只1材が有るのみで、それが斗栱の中ではかなり大きな曲げ応力を承けるので、《法式》に依れば昂身が肘木や梁部材にぶつかる時の枘は浅い槽とし、深さは2分で昂下面に斜めに開け、両側面は各深さ1分を隠し、交差する部材は昂の斜度に合わせて昂と噛み合う枘孔を開け、昂身が曲げ応力の要求を満足出来る様にする。更に注意するのは、昂の斗口と昂の上に座る斗の所は、昂身が皆“斜めに鐙口を作り”、以って滑り落ちるのを防止する。

②上昂:其の作用は下
昂の反対で、出跳がぶつかる部分が高く飛ばねばならない時、斜撑(注;筋交いや、突っかい棒)類似の上昂を使用し、層を重ねて出跳する華栱に替わって、小さなもので大きな効果を出している。最も良く使用される所は屋内の垂木で天井を承ける所と外の檐の平座(廻縁)の斗栱である。実例で上昂を用いるのは、蘇州玄妙観三清殿の屋内斗栱と、応県浄土寺大殿の藻井及び天井の斗栱である(図10-53)。《法式》が列挙する上昂の工法は皆、肘木及び上昂組成の斗栱で、未だ下昂と併用する者は見えず、実例は浙江省金華市天寧寺大殿が、外に下昂が出て内に上昂を用いる工法である。この殿は元代に建てられ、《法式》が完成する年代より晩く、後世に出来た新しい方法かも知れない(図10-54)。
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# by songofta | 2017-06-02 17:19 | 古建築 | Trackback(4) | Comments(0)

227 斗栱1 斗、栱、昂

中国古代建築史 (抜粋) 巻三

第十章 建築著作と匠師



2.斗栱:《法式》中で言う鋪作
 “斗栱”この言葉は宋以前に已に使用され、唐の孔颖逹疏《礼、礼器》に“管仲镂簋朱紘,山節藻棁(管仲は食物を盛る器に紅い帯や山飾りを付ける)”時、“山節は柱頭に斗栱が有るのを謂い、形は山の如し”。但、《法式》の大木作制度の中に、“斗”と“栱”の単独の呼称を除くと、組上げた全体の斗栱に対して“鋪作”と称している。どうして“斗栱”を称して鋪作とするかは、李誡は総釈の中に引く《景福殿賦》の中に、“桁梧復疊、勢合形離”、解釈して言う:“桁梧は、斗栱であり、皆折り重なって施工し、その勢いは、或は合し、或は離れる”。それとは別の所の《含元殿賦》を引いて“懸櫨骈湊(櫨の木が二つ合わさる所)”の句の下で、鋪作の含む意味に就いてはっきりと述べて、“今斗栱の層が重なって出跳の多寡を言うのに、これを鋪作と言う”とある。
 此処での鋪作表示の意義は、多層の斗と肘木(栱)を一定の秩序で重ねて一緒にした構造方式にある。《法式》の大木作制度中には、更に“総鋪作の順序”の一節があり、専門に1組の斗栱の構造特徴を描写して、
  出跳一つの四鋪作;
  出跳二つの五鋪作;
  出跳三つの六鋪作;
  出跳四つの七鋪作;
  出跳五つの八鋪作;
 この段の文字が明らかにするのは、“出跳の多寡の順序”と鋪作数の関係は、出跳一つ毎に一鋪作が増えることである。
 同時に《法式》はこの種の構造方式の呼称を、1組の斗栱の言い方を拡げたが、それは “柱頭鋪作”、“補間鋪作(中備え)、“転角鋪作(隅斗栱)の3種の事である。これは、或は李誡の“無理やり職人に逐一言わせた(勒人匠逐一講説)”過程で形成されたもので、この様な“鋪作”は、斗栱の同義語と成ったのである。
227 斗栱1 斗、栱、昂_e0309314_23090100.jpg
 しかるに、どうして“出跳一つが四鋪作”で、どうして一鋪作では無いのか? これは正に前に言った所謂“斗栱の層は重ねで数える”の意味が含まれており、四鋪作は4層の部材が重なって、4層の木部材を敷く(鋪)と言えるからである。図に示す様に(図10-39)、第1層は大斗で、第2層は華栱、第3層は耍頭、第4層は襯方頭で、四鋪作は只出跳するのが1段だめではなく、その中に大斗や耍頭、襯方頭の3層が不可欠の疊ねる部材で、どのような1組の斗栱でも、何段かの出跳でも、この3層の部材は大多数の情況下で不可欠なのである。大斗無しでは1組の鋪作にならず、耍頭無しでは最も上の横肘木---令栱の正確な位置を保証できない、襯方頭無しでは垂木桁の正確な位置を保証出来ず、令栱と垂木桁は耍頭と襯方頭の支えに全てを頼っているのである。その為、1組の鋪作は出跳数に3を加え、鋪作数とできるので、以下の式のように書くことが出来る:
          出跳数 X+3= 鋪作数 Y
 (注)耍頭、襯方頭:
    耍頭;最上層の肘木或は尾垂木の上に乗り、令栱と直交して外に出跳し、水平を作る部材。
    襯方頭;耍頭の上に乗り、外端は露出せず垂木桁を承ける部材。
 出跳数とは何か?《法式》の大木作制度中に指し示す:“およそ補作の大斗の口内から出る肘木(栱)或は尾垂木(昂)はこれを出跳1(1手先)と言い、出跳5迄で終わる”。この定義に、人は出跳についての大雑把な概念を得られるにしても、さほど厳密なものではない。例えば、8補作の1組の斗栱は、出跳5とは言え、大斗の口内からは第1出跳の華栱のみで、それ以外の出跳は大斗から直接出るのではなく、交互斗の口内から出る(図10-40)。それとは別の面で見れば、出跳する1肘木(栱)或は1尾垂木(昂)は出跳1としての条件と成っている。出跳の肘木或いは尾垂木は出跳部材を持ち挙げるのにどうしても必要な部材で、その端部は上層の出跳部材の支点と成ることが必要で、これでやっと出跳1と数えることが出来、一般の柱頭斗栱と詰組では、出跳の先端が承ける上1層の部材の下層は、幾つかの異なる情況がある。(図10-41)
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 ①単純に華栱1本を承ける
 ②単純に昂1本(下昂或は上昂)を承け、下昂を使用する時、出跳の先端と昂の間は一般に華頭子を挟み、上昂使用時は先端と昂の間に鞾楔を挟む。
 ③十字に交叉した瓜子栱と華栱を承ける
 ④十字に交叉した令栱と耍頭を承ける
 ⑤十字に交叉した瓜子栱と華栱及び下昂を承ける
 ある種の古建築の実例に、1本の尾垂木(昂)が出るが、出跳1とは呼ばないものがある。例えば、福建省福州市の華林寺大殿の斗栱で(図10-42)、外には栱2つと昂3つが出る様に見えるが、8層の部材が重なった8鋪作ではない。原因は第3昂は耍頭の変体で、この鋪作は耍頭を昂の形式に変えて造ったもので、この層の昂は出跳した部分の先端に、上面の部材の支点を承けるものに成って居らず、これにより出跳1と数えられないのである。同時に襯方頭を省き、厳密に言えば6層の部材が重なるに過ぎず、只習慣で7補作と呼んでいるだけである。
 更に説明が必要ならば、1組の鋪作の中の出跳は、往々にして襯方頭が見えず、鋪作を数える公式で計算する時、公式の中の“3”は定数なのである。
 有る学者は、垂木桁も鋪作を数える時の不可欠の部材だと言っているが、これは“鋪作”の定義と符合せず、垂木桁は鋪作に承けられる部材で、鋪作中にはめ込まれる一部分ではない。

(3) 鋪作中の斗、栱、昂
 《法式》大木作制度はこの様に言っている:“肘木(栱)を造る制に5種有り”、“斗を造る制に4種有り”、“尾垂木(昂)を造る制に2種有る”、これは1組1組の複雑な鋪作を、分解して帰納して出来た主要部材の類型である。その言う所の5種の肘木は即ち、華栱、泥道栱、瓜子栱、慢栱、令栱である。4種の斗は即ち、大斗、交互斗、斉心斗、散斗である。2種の尾垂木は即ち、上昂、下昂である。これはつまり、斗と肘木、尾垂木を異なる名称を通して言うのは、主要にどの種類の部材も斗栱のなかの位置が異なり、力の受ける情況が異なり、枘と枘孔の割り方の形式が異なると言うことである。施工中、斗栱は皆先に部材を分けて制作し、それから組上げて1組の鋪作とするので、1棟の大型建築の場合、千を数える斗や肘木部材が出現するかも知れず、斗栱が合理的に力を受け、構造が合理的で、施工が容易に弁別認識できるためには、どの部材にも“正しい名称”を与えるのは必須で、その形制は厳格な寸法規定を造り出した。

1)5種の肘木及びその変化;
 《法式》は、鋪作中の栱(肘木)を分けて“足材栱”と“単材栱”の大きく2つの類とし、足材栱は只華栱1種で、単材栱は泥道栱、慢栱、瓜子栱、令栱の4種である。
 《法式》が言う、“華栱或は謂う杪栱、又謂う巻頭、亦謂う跳頭”。大木作中、度々出現する“杪”(読みは秒)の字は、鋪作中の華栱を形容する時、常に“何杪出跳”、或は“1杪下げ・・・・・”、“第2杪の華栱・・・・・”などと言うが、この“杪”字は一体どんな意味なのだろうか?《説文》に拠ると“木の末端である”、《方言》は“杪は小なり。木の細い枝を杪と言う”。杪は末端、樹の梢の意を持ち、これと“跳頭、巻頭”の意味は一致し、これだけではなく、《法式》巻四鋪作の次序の一節に“凡そ鋪作は逐次出跳して上に肘木を置き、これを計心と言う。もし出跳して上に肘木を置かず再出跳するか尾垂木を置くものを偸心と言う”。併せて注釈して、“凡そ中心で出跳して枝を出して、計心は葉が転じるものを言い、偸心は葉が転じないものを言い、その言う所は実に一つである”。これは更にはっきりと、出跳する華栱を樹の枝を使った喩えで説明し、樹の枝が上に長く伸びた樹葉を計心造と形容し、樹葉が伸びないものを偸心造と非常に形象的に形容したものである。それから、ある種の版本に度々転抄とあるのは、杪の字を誤って“抄”(音は超)と書いたもので、もし抄の字が華栱を形容するならば、当然人は理解出来ず、この種の転抄の間違いは必ず正されなければならない。

 《法式》が肘木を“足材”と“単材”の2類に分けるのは、それ等は受ける力の情況の違いと一致するからである。足材栱が在る所は建築の立面の位置に垂直に存在し、1層1層が出跳し、又出跳する栱と言える。単材栱は皆、建築立面に平行の位置に在り、足材栱の前端は、出跳した先端上面の横肘木を承け、比較的大きな断面を持ちそれで以って掛かる力を承ける。このため、枘と枘孔は栱身の下部でなければならない。そして横肘木は簡単に梁を支える形を呈し、承ける力は華栱より小さく、単材を用い、華栱と交わる時、枘と枘孔は肘木の上部にある。4種の横肘木のうち、慢栱は最長で、当然特殊な名称を持ち、その他の3種の肘木は、長さは近く、只使用位置が異なり、その内泥道栱は柱の中心線上にある為、栱身は槽を切り分け、栱眼の壁面(斗栱の間の壁)に納まり、暗栔を用いて栱眼を填めるので、その性質は、明確である。瓜子栱と令栱の差は最も小さく、只その位置が異なるので長さを調整しているのみである。瓜子栱は慢栱を承ける必要から、慢栱が瓜子栱の両端から伸びる一定の長さを保証するため、瓜子栱自身は只62分の長さで、慢栱に比べ30分小さい。令栱は瓜子栱と区別するため、72分を加える。
そして、実際の応用では、建築の複雑な情況に対して、どの種類の部材も沢山の変化が発生するので、《法式》は小さな注釈を通して、引き起こされるかも知れない変化に補充する説明をして、幾つかの面で概括して述べている:
 ①肘木を伸ばす-----騎槽檐栱、隅華栱、鴛鴦交首栱
 華栱は、斗栱の数は増加した時、肘木長は“出跳する場所に従ってこれを加え、出跳する長さは、芯で30分を過ぎず、伝跳は多くても150分を過ぎない”。この種のいくつも跳ぶ長さの華栱は、騎槽檐栱である。それとは別に華栱位置に変化が発生下時、例えば隅斗栱で、斜めに出る隅華栱は、その長さは“斜めの長さはこれを加える”。その次は横肘木で、2個の斗栱が近くで隣合う場合、横肘木を“繋ぎの肘木を隠して交わる”のに鴛鴦交首栱を造る。その長さは具体的情況を斟酌して決める(図10-43)。
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 ②肘木の外形変化-----里跳巻頭は㭼頭或は木方に成る
 華栱自身は左右対称の巻頭形式で、庁堂の柱頭鋪作を施工するに当って、内側の出跳が㭼頭に変化する形式、即ち“もし庁堂で内に出跳して梁を承ける場合、㭼頭は更に出跳1を加え、その㭼頭を或は圧跳と言う”(図10-44)。更に内への出跳は短い木方の華栱に変化し、平座の斗栱中に使用する。
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 ③肘木長を短く截つ-----丁頭栱及び蝦須栱
 丁頭栱は内柱の柱身に嵌め込み、梁の尻を半截した華栱で承け、それにより柱と“丁”字形に成るのでその名が付いたもので、丁頭栱は長さ33分、2つ出跳する時は出跳を長くする。半截の華僑は有る時には鋪作の中でも用いる、即ち“向きを転ずる隅で内に出跳する場合、蝦須栱と言い、股卯到心(鋪作中心を指す)を用いる”。ここの鋪作は、丁字形に槽を分ける場所の上の位置し、丁字形槽の両方の内角上に施す鋪作の中に在り、45°に斜めに出跳する半截の華栱に沿って必要なので、蝦須栱と成る。蝦須栱の実例は寧波保国寺大殿に見られる(図10-45)。
 ④肘木の開口変化----騎栿栱、絞栿栱、騎昂栱、絞昂栱
 柱頭鋪作の中には往々にして梁や桁まで達し、《法式》巻十七に載る;“凡そ鋪作は・・・・・・柱頭の騎絞梁栿の所は、出跳はその用いる所に従う”、この様にすぐ騎栿栱と絞栿栱が出現する。騎絞栿栱は横肘木と均しく、瓜子栱や慢栱、令栱の類であり、梁や桁と垂直に交差する。その特徴は、元々は枘と枘孔を改変する事にあり、大きさは梁や桁を納められる程度まで加え、およそ開口が肘木身の下部は騎栿栱で、開口が肘木身の上部は絞栿栱とする。騎栿栱は肘木身の高さを加え、《法式》巻四令栱の条に言う: “もし内に騎栿栱が出跳すれば即ち足材を用いる”。只令栱だけではなく、瓜子栱、慢栱、騎栿栱の足材を用いる必要がある。そして開口の大きさは“皆、用いる所に従う”、単栱造の鋪作中、“其の瓜子栱は令栱に改作する“。肘木と梁桁が交差する者は、梁桁幅が3材以上に当る時、肘木身が梁桁の中部に当る情況が生まれ、肘木身に枘孔を開けられず、実例では肘木身の1分を2分として、梁桁に挿し込み、《法式》巻十八の“殿閣身舎内側の隅斗栱に用いる等数”の一節の“7補作だけに用いる”条に記す“瓜子栱4個”は、正にこの種の情況に当たり、それは現在金箱頭槽(注;内槽と外槽の二重槽より成る殿閣)の、内側の隅斗栱中、瓜子栱が半截華栱に変化し、梁桁と丁字形を成し、故に“瓜子丁頭栱”と言う(図10-46)。
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 騎昂栱と絞昂栱は前者と異なり、栱身の開口を広げる必要はなく、枘孔を尾垂木の傾きに従って斜めに開ければよく、尾垂木身に置かれ、絞昂は枘孔が上に、騎昂は枘孔が下にある。

2)4種の斗及びその変化
 斗は鋪作中では肘木や尾垂木を組合せる節点で、耳、平、欹(注;耳、敷面、斗繰のこと)の3部分からなる。その位置により、納める肘木や尾垂木の方向で差が必要となり、異なる形式と寸法が生まれる。
 ①大斗:斗栱の下部に用いる。鋪作の中で最重要で、体積は最大で、方形や円形、海棠形(注;鬼斗の様な花形)等異なる形式があり、方形は長さ幅が32分で、隅は36分まで、円形は径36分、高さ20分、一般は十字に開口し耳4つの斗だが、出跳しない補作では、耳2つに変わり、場所に併せて開口し、方向の変わる隅部では隅華栱を納める必要から斗耳は減って1隅だけになる。

 ②交互斗:補作の出跳する先端に用い、それは華栱や昂(尾垂木)と瓜子栱或は令栱の交差する節点であり、このため斗耳4つだが、正方形ではなく、長さ18分、幅16分である。開口場所は横に耳を包む。騎昂の交互斗は、斗底(斗尻)に斜めの枘口を開け、昂身に上が狭く下広い鐙形で口が噛合う必要がある。昂の交互斗を承けるのは即ち斗口の所が斜面になり、昂の姿勢で噛み合う。屋内で“梁桁の下に用いる者は、これを交栿斗と謂い”、寸法は大きくなり、長さ24分、幅18分。この時開口部に従って耳2つの斗に変わり、開口幅は10分から16分まで増え、以って梁桁が斗栱に嵌入する時、桁上部の断面の積載力が大きく削られない様にする。交互斗は替木(斗栱の最上部で桁を承ける舟肘木)で承ける時も場所に合わせて耳2つにする。

 ③斉心斗:鋪作の横肘木の中心に置き、方形斗とし、長さ幅は16分である。《法式》巻三十の図と巻四斉心斗の条から、3種の異なる形式がある:耳4つは、泥道栱や平座(廻縁)の部材先端に用い、耳2つは、一般に屋内の垂木の横肘木の中心に用いる;耳3つは鋪作の外に出跳する令栱の上に用い、橑檐方(丸桁)と衬方頭を承ける。この他に耳無しの平盤斗があり、隅の出跳の先端に用いる。

 ④散斗:鋪作の横肘木の両端に置き、長さ16分幅14分、場所に従い、耳2つである。偸心造の時、華栱の先端に用い、泥道栱上に用いる時、片側の枘口は栱眼の壁板に納めて開ける。
  《法式》規定の交互斗や斉心斗、散斗は皆高さ10分で、耳や斗繰りは皆4分、平(敷面)の高さ2分だが、実際の施工中、斗の耳や平、斗繰りの3部分は、“平と耳”の高さは不安定で、1組の斗栱を組上げた後、再び水平を探して、これと建築中のその他の斗栱が構成する全体と、鋪作層を形成させ、この時耳と平の高さを調整し、水平の要求を満足させる(図10-47)。
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  ⇒ 目次7 中国の古建築技法”以材為祖”


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総目次 
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目次1 日本じゃ無名? の巻
  ⇒ 目次2 中国に有って、... & 日本に有って、... の巻
  ⇒ 目次3 番外編 その他、言ってみれば      の巻
  ⇒ 目次4 義縣奉国寺(抜粋)中国の修理工事報告書 の巻
  ⇒ 目次5 日本と中国 あれこれ、思うこと     の巻
  ⇒ 目次6 5-8世紀佛像の衣服
# by songofta | 2017-05-31 23:20 | 古建築 | Trackback(4) | Comments(0)